伊東の郷愁風景

静岡県伊東市<温泉町・港町> 地図
 
町並度 5 非俗化度 3 −木造三階の大型旅館がかつての賑わいを伝える−





伊東大川に沿って残る木造旅館群



 伊豆半島の東岸は各町ほとんどが温泉地である。それらは首都圏からの行楽客の流入が多いことから観光地化されたところが多く、数多く存在する温泉地も俗化度が高い。ここで紹介する伊東も半島の入口に近いこともあり、また東京への直通列車も多く走っているなど首都圏の外縁部に位置し町には古い佇まいが残っているとは想像しにくい。
東海館の厳かな玄関



旅館街の対岸にある商店街の町並
旅館街



 伊東はその通り伊豆半島の東に位置し相模湾に面している。現在では温泉地としての印象が先行するが、港町としての歴史の方が古い。大島へは長らく伊東からの航路が独占していたし、さらに古くは江戸の膨大な人口を賄う魚介類、そして薪炭の積出しは伊豆随一だった。漁港としても発達し、諸浦ごとにさまざまな漁法が用いられそれにより鮪、鯖や鰹など近海遠海のあらゆる水揚を得ていた。また加工品としての鰹節は文政期(19世紀前半)の江戸の「諸国鰹節番付表」にも前頭の項に伊豆伊東節と格付けされている。江戸の台所を支えていた町の一つでもあった。
 また伊豆半島は良質の石材が豊富であり、付近でも江戸城の改築をはじめ関東各地に用いられた石が切出された。海路積出された港としても、この伊東港の功績は大きい。
 町内各地で温泉の掘削が盛んになったのは明治の後期になってからで、東京からも近い位置にあったこともあり多くの客を得て、著名人の別荘も多数立地した。昭和特に戦後になると、熱海とならんで温泉観光地・保養地として大きく注目されるようになった。
 温泉地は伊東大川に沿った平地に沿い南北に展開している。伝統的な姿としては、その北端に近い東松原町付近で見られる。数軒の木造旅館が並んだ姿は、伊東温泉が賑やかさを極めていた頃を思わせ、外観・内装共々、贅を尽くしたその意匠は驚嘆に値すると言っても良いだろう。
 その中で東海館は、現在では営業はされていないが木造三階の純和風旅館であり、屋根の上には望楼が聳えている。川のほとりの風光の良い立地条件を得て、昭和3年に創業を開始した。当初は当時客が中心であったが、その後国鉄伊東線開通に伴って団体客が目立ち始めた。特に我国独特の社員旅行・接待旅行などが盛んになるにつれ、大口の団体も増え増築を重ね、現在の姿となったのである。近年は社員旅行などの団体旅行が減少したこともあって平成9年に閉館しているが、内部は営業当時のままで、豪華で大変な広さを持つ宴会場など、大型団体の宿泊が頻りだった頃の残像を随所に感ずることができる。現在は市が引取って日帰り温泉施設や貸座敷などとして一般に公開されている。見学の価値のある旅館建築である。
 しかし木造建築群として強烈なインパクトを与えるこの温泉街も、いつまで保てるかは覚束ないものがある。これだけ大きいと建物の維持だけでも厖大な費用がかかるだろう。この一角が伊東の歴史を全て語っているといっても言い過ぎではない。費用面は度外視してでもシンボルとして保存していく価値は充分にあると思われる。
 それ以外の市街中心部では伝統的な町の面影は濃いとはいえないが、戦前からそのまま営業されていると思われる看板建築の商店や、切妻の町家風の建物も幾つかは残り、わずかながら古い町並が感じられた。
 
 





竹の内二丁目の町並

訪問日:2007.05.27 TOP 町並INDEX