糸魚川の郷愁風景

新潟県糸魚川市商業町 地図
 
町並度 6 非俗化度 7  −信州への物資の集結地−



糸魚川は県の最西端、本州を東西に二分する大地溝帯の北端として知られる方も多いだろう。
 この地域の地勢は険しく、海岸からいきなり2000m級の山地となり、糸魚川の町も姫川の削った僅かな海岸付近の平地に展開している。姫川は名前こそ優美であるが飛騨山脈の源流から海まで20kmほどしかなく、峻嶮な谷を刻み滝のような急流である。その流域に山岳路線・大糸線が信濃大町を経由し松本とを結んでいる。
大町・本町の商店街 店舗は伝統的な商家建築のままで古い町並を形成していた








大町の町並 横町(旧白馬通り)の町並


 この大糸線の通る姫川の谷は近年まで重要な街道で、山国信州にとって貴重な塩や海産物を運び込む日本海側の起点はこの糸魚川であった。北前船で運ばれた物資はここで番所の検査を受け、信州問屋と呼ばれた問屋で町中で消費されるものを選別し、残りの荷物は街道を往来する人々に負われ、険しい山道に挑んでいった。険阻な道であったため牛が多く使用された。この山越えの街道筋が塩の道と呼ばれるのもそうした理由からである。
 白馬通りと呼ばれる南北の通りが当時の町の中心で、この付近で信州への物資が荷造りされ、次々と運び出されていったのだろう。あちこちに牛がつながれ、慌しく出発準備をしていた情景が繰り広げられていたに違いない。付近は杉玉の下がった造り酒屋をはじめ歴史を感じさせる町並が広がっていた。
 それに直交する東西の通りは商店街となっている。この界隈も古い町並と評価できる風景が連なっていた。現代風の商店はほとんどなく、間口の広く二階の立上りの高い商家建築がそのまま店舗として利用されている。印象的だったのが戸袋の意匠で、各店はそこに屋号を刻み宣伝効果を発揮させている。その姿は統一されていて、ある時期に商店街として整備されたような色が伺えた。しかしそれは最近のものではなかろう。通路も現代風のアーケードではなく、この地方独特の雁木の形を保っていた。
 駅前から日本海岸に向う大通りを挟んだ東側の寺町界隈にも古い町並が続いている。恐らくこれが旧北陸道であったのだろう。ここには宿駅も設けられ本陣もあったという。街道集落らしい雰囲気を感じさせた。
 




寺町の町並

訪問日:2007.05.05 TOP 町並INDEX