祝島の郷愁風景

 山口県上関町<漁村> 地図
 
町並度 7 非俗化度 8 −瀬戸内の練石積集落−




 上関町の中心を含む、文字通り細長い長島の、さらに10キロ足らず西に祝島がある。ここは上関や室津の穏やかな内海的港町とは大きく異なり、常に風波にさらされる地形的制約により、瀬戸内海地域の島の集落としては特異な町並景観を示している。
 周囲を全て石積で囲んだ家。このような民家が集落の多くで見られます。




屋根瓦が石積と一体化していて、門なのか塀なのか屋根なのか区別がつきにくい構造です。




生活の苦心の防衛手段が、このように芸術的ともいえるような細工を編み出しました。


集落のメインストリートはこんな感じです。軽トラも入っていけます。
 
 

 島は海岸部から切り立つ地形のため、東側のわずかな平地に民家が密集し、斜面へと這い上がっている。集落内は車が通れるほどの幅を持つ道はほとんど皆無と言ってよく、路地が迷路のように複雑に絡み合い、よそ者が方向感覚をもって自由に歩きまわれることは困難である。
 路地以上に、この島の集落景観を決定的に特徴づけているのものが、家々を囲う練石積である。今ではブロック壁などに押され数が少なくなっているというが、家々の多くは丸石を積み重ね、漆喰で固められた壁で覆われている。そしてその壁は屋根にまで達し、瓦と接着されている。これは風対策のためで沖縄などに見られるものと目的上似通っている。その姿は極めて機能的でありながら、実に芸術的に映る。
 前述のように瀬戸内海とはいえども豊後水道を通過して太平洋からの荒潮が流れ込み、特に台風時には強烈な風波に包まれる。また、密集度が極めて高い集落内での火事の延焼防止の役割も果していた。屋根にしても、瓦を組んだだけではなく、漆喰その他で塗り固められ飛ばされぬような策が講じられている。石を置いて押さえられた原始的な形式も、幾つか見られた。
 万葉の歴史を秘めた島と謳われるように、集落の成り立ちも非常に古いのだが、残念ながら全島を2回にわたり焼き尽すほどの大火があって記録が失われ、いわれを紐解くことはできない。しかし千年以上昔から伝承される「神舞神事」が4年に一度行われていることは、歴史の深さを裏付ける何よりの証拠である。
 至るところに井戸が残っているように、孤島での水確保も大変なことであっただろうが、近年までここには裕福とは言えないまでも安定した生活が営み続けられていた。瀬戸内有数の漁場であり、また蜜柑や枇杷などの農産物にも恵まれていたからである。漁船の大型化に伴う乱獲などにより漁業が振るわず、若者は都会に出て行っており、眼にするのはお年寄りばかりであった。
 訪れる外来者は釣り客がほとんどであり、交通の便も悪いためこの練石積の町並が観光地として脚光を浴びることはまず無いだろうが、それよりも過疎化の一層の進行、住民の高齢化の方が気掛かりである。手付かずの集落であり続けて欲しいと思う一方、空き家も目立つこの集落景観を何とか保存していけないものだろうか。


 
 

訪問日:2003.05.24・25 TOP 町並INDEX