祝島の郷愁風景

 山口県上関町<漁村> 地図
 
町並度 7 非俗化度 7 −独特の練塀が連なる瀬戸内海域では特異の集落風景−



 

 練塀の連続する風景が見られる祝島の集落
 

 瀬戸内海域の西部、周防灘と伊予灘の境付近に位置する祝島。柳井港から上関を経由して1日数便の客船で結ばれる人口200人余りの島だ。
 瀬戸内海とはいえ地形的に南側に豊後水道に向けた海域が広く開け、ここに太平洋からの荒潮が流れ込み、特に台風時には強烈な風波に包まれる。そのため他の島々とは異なる独特の集落景観を示している。島は海岸部から切り立つ地形のため、東岸の港背後付近に開けるわずかな平地に民家が密集し、一部は港北側の斜面上にも展開する。集落内は車が通れるほどの幅を持つ道はほとんど皆無と言ってよく、路地が迷路のように複雑に絡み合い、よそ者が方向感覚をもって自由に歩きまわれることは困難である。
 特に島の集落景観を決定的に特徴づけているのものが、家々を囲う練石積である。今ではブロック壁などに押され数が少なくなっているというが、家々の多くは丸石を積み重ね、漆喰で固められた壁で覆われている。練塀と呼ばれるこの壁は強風を遮る目的のほか、集落内での火事の延焼防止の役割も果している。この構造は塀だけでなく屋根にも瓦を漆喰その他で塗り固められた形として見られ、島の環境の厳しさを語っているようだ。一部には練塀が屋根にまで達し瓦と接着されている家屋もあった。機能的でありながら、実に芸術的なものに映る。
 

 

 港付近の町並 港から伸びる島のメイン道路 
 

 

 

 

 祝島は万葉の歴史を秘めた島と謳われるように、集落の成り立ちも非常に古いのだが、残念ながら全島を2回にわたり焼き尽すほどの大火があって記録が失われ、いわれを紐解くことはできない。しかし千年以上昔から伝承される「神舞神事」が4年に一度行われていることは、歴史の深さを裏付ける何よりの証拠である。
 至るところに井戸が残っているように孤島での水確保も大変なことであっただろうが、近年までここには裕福とは言えないまでも安定した生活が営み続けられていた。瀬戸内有数の漁場であり、また蜜柑や枇杷などの農産物にも恵まれていたからである。漁船の大型化に伴う乱獲などにより漁業が振るわず、若者は都会に出て行っており、眼にするのはお年寄りばかりであった。
 訪れる外来者は釣り客がほとんどだが、近年になりネットの力もあってか集落景観の貴重さが少しずつ知られるようになり、その目的で訪ねる人々も増えてきたと聞く。また以前は食事処をはじめ店舗は表向きにはほぼ全く見ることが出来なかったが、今回の再訪時にはささやかながらに看板を掲げた食事処も見られた。しかし、人口減少も甚だしく空き家も増えている昨今、他ではなかなか見られない独特の家並が少しでも長く維持され、後世に伝わってほしいものだ。
 

 

   丘の上にも家並が連なる 
 

 
丘の上から港と集落を望む 

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訪問日:2003.05.24・25
2026.05.30・31再訪問
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