磐城棚倉の郷愁風景

福島県棚倉町<城下町> 地図
 
町並度 5 非俗化度 7  −棚倉藩の城下町−

 棚倉町は県の南東部、水郡線の主要駅が設けられ、郡山方面と白河方面からの国道が交差する交通の要地となっている。
 東白川郡に属しているが、西白河郡や白河市とは表記が異なり、また町の読みはたなぐら町だが水郡線の駅は濁音ではなく、なかなかややこしい。

濠がほぼ完全な形で残る棚倉城址




 

 町の一角に亀ヶ城公園として整備された旧棚倉城がある。その歴史は江戸初期に遡り、元和8(1622)年に常陸国より移ってきた丹羽長重が寛永2(1625)に築城したものである。同氏は寛永4年には白河に移されたが、代りに近江より内藤氏が棚倉に移封され、以後頻繁に城主が変わりながらも慶応4(1868)年に戊辰戦争の煽りを受け落城するまで続いた。
 城下町は丹羽氏の折に既にその原形が整備されていたといわれ、北町・南町などの武家屋敷街、古町・新町などの町人地を置いた。現在も字として残り、城下町の名残を感じさせる。
 磐城地域南部の政治、商業の中心であるとともに、常陸方面とのつながりも強かった。城下から南に伸びる棚倉街道は、県内の八槻・台・伊香・東館・中町・大の宿駅を経て、常陸太田さらに水戸とを結び、物資の往来も盛んに行われた。また奥州各大名の参勤交代にも使われた重要な街道であった。
 磐城棚倉駅付近より南東に連なる街路沿いが旧市街で、ここが城下の町人町でありまた旧棚倉街道沿いなのだろう。伝統的建物が連続して残っている場所は少ないものの、所々に厳かな外観の建物が見られる。せがい造りのものもあり、関東の影響を受けているように思えた。中でも古町地区の南部にある旧家は母屋と土蔵を街路沿いに見せ、奥行も非常に深く100m以上にわたって土蔵群が展開している。この建物だけでもこの町の繁栄を感じることができる。




非常に深い奥行を有する商家






訪問日:2015.09.22 TOP 町並INDEX