岩松の郷愁風景

愛媛県津島町<港町・漁村> 地図 <宇和島市>
 町並度 5 非俗化度 8  −鰯漁と塩田で栄えた宇和海沿いの町−


 小西邸付近。路地が一際入組んでおりこの土蔵群をはじめ川沿いで営業を続ける旅館などもこの旧家の分家です。  造り酒屋の古風な主家。その先には洋風建築も残っていました。


 家々の裏は港として外海と出入りがあり、今の川沿いの平凡な風景からは想像しがたいものがありました。
 


 津島町は宇和島市の南に接する宇和海に面した町である。
 宇和海沿岸は現在はハマチ等の養殖や真珠産業が主な海産業となっているが、江戸期から戦前にかけては、西国一の鰯漁の盛んな地域であった。
 この地は江戸期に入り幕末まで宇和島藩領であった。藩は干鰯を特産物として統制管理していた。網元は漁獲物を毎月藩に届出る定めになっていたといわれ、それらは全て干鰯に換算されていて、「鰮幾俵」と記されていたという。
 水揚げされた漁獲物も日々藩によって厳しく管理されていたようで、漁師はその日の漁獲物を庄屋格の網元に届出て、藩の指定商人に全て売り渡したといわれる。網元は漁獲高20桶以上の場合に限り、自家用として1桶、網子の漁師には2桶を分配していたが、自家用であっても残りが出た場合は売り戻さねばならない。干鰯は藩の重要産業であったのだ。
 一方で塩田開発も古くから行われ、元禄時代に「近家浦塩浜新田御役人申渡」等の史料があり、当時には既に塩田が発達していたとされている。19世紀初頭その塩田の多くは宇和島の豪商小西惣三郎に払い下げられている。小西家は貞享年間(17世紀後半)より南予地方を代表する豪商・地主として君臨した。後に蝋座頭取役も勤め、苗字も許され藩の御用商人となっていた。
 小西家の邸跡は今では土蔵が数棟並ぶ路地となっているだけで、僅かに繁栄を偲べるだけとなっている。この裏手は現在岩松川の河口地帯となっていて想像し難いがかつては直接千石船が横付けになっていたという。
 岩松川に沿った街路上に町並が伸びている。かつてはここが直接港となっていたことを示すように、道は緩やかにカーブし路地が派生する。そして繁栄の古さを象徴するように、ここでも造り酒屋が町並の中心であった。





一本道に連なる家々。全体的に更新が進んでいますが格子はよく保存されています。

訪問日:2003.08.15 TOP 町並INDEX