矢上の郷愁風景

島根県石見町【在郷町・産業町】 地図 <邑南町>
 町並度 4 非俗化度 9  −山間部に開けた盆地に展開する−



 


 






 


 
矢上の町並


 
矢上地区は石見町域の中心で、三方を山々に囲われ、東側のみ開けた盆地状の地形を呈している。
 江の川の支流・矢上川が東流し、内陸深い所の割には広々とした水田地帯が展開しており、この沃野は古くから注目されていたからか中世には複数の山城が構えられていた。
 江戸期は浜田藩領で、元禄11(1698)年には既に2,000人余りの人口があり、中国山地一帯で行われていたたたら製鉄が盛んにおこなわれ、明治中期まで続いていたという。年貢米に準じる小物成と呼ばれた藩への納付品も鉄であった。周囲の山地は花崗岩地帯で鉄分を多く含み、切り崩した土砂を川に流す鉄穴流しという方法で良質の砂鉄を得ることが出来た。
 明治初期には大工11・木挽8・鍛冶6・商15などが数えられ、商工業も興り在郷商業町としても賑わっていた様子がわかる。明治8年の小鉄採取地は21箇所、採取夫役は総計6,000人余りを数え、生産された鉄は主として広島県加計に送り込まれていたとの記録がある。
 盆地の中心を東西に伸びる街路に沿い家並が連なっている。それらは伝統的な建物が連続した姿ではないが一見して古くからの町であることがわかる。或るものは土蔵を従え、他のものは漆喰の塀を巡らせておりまた現役の旅館の姿もあった。
 付近に七日市といった地名が残っているのも、商業的に発展していたことを示しているようであった。
 
 

訪問日:2020.05.31 TOP 町並INDEX