岩村の郷愁風景

岐阜県岩村町<城下町> 地図 <恵那市>
 
町並度 6 非俗化度 4  −日本一の高所にある山城の城下町−
 










本通りの町並

 

 ここ岩村町は現在では東濃の山間部に位置する小さな町に過ぎないが、古くは鎌倉時代に築城された岩村城に由来する城下町である。高取城(大和)、松山城(備中)と並び日本三大山城に数えられ、標高711mの山頂にある城は日本で最高所に築かれた城である。
 城下町は慶長6(1600)年に松平家乗が来封した頃に整備された。城山の麓に武家町を置き、町を東西に流れる岩村川の南側に町人街を配備した。武家屋敷等の遺構はほとんど残っていないが、町人街は比較的その姿を残しており、この本通りの沿道が重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
 城下ではここに住む町人のみに商売が許されたことで、この本通りでは豪商の家が数多く残る。町並のほぼ中央、勝川家は屋号松屋とよばれた材木商で、一般公開に向けて特別無料公開されていた。江戸末期には所有する山林から伐り出された材木を保管する木蔵が、町内のみならず町外にもあったという。幕末にはその財力により逼迫した藩財政を支えたともいわれ、広い中庭に数棟の土蔵も有し岩村を代表する豪商の一つであった。また、なまこ壁の風情ある小路風景を造りだしている木村家は問屋職を勤めた家。その他多くの町家は中2階で、全面格子窓を採用している。本通りの外れの加納家は岩村では数少ない漆喰塗り込め土蔵造りで、中2階部には矩形の採光窓が並ぶ独特の造りは、火縄銃を製造した鉄砲鍛冶の家である。
 町並は最近、重伝建としての整備修景が徹底的に行われたようで、本通りに面する町家の格子は多くが真新しい。また、地元では観光業にもかなり力を注いでいるようで、近隣の明智町とリンクさせた訪問客の姿も多く眼につく。余り外来者に迎合した色を出さずにいて欲しいと思うのはわがままだろうか。
 
 




勝川家の土蔵 鉄砲鍛冶の家、加納家



訪問日:2003.05.04 TOP 町並INDEX