岩沼の郷愁風景

宮城県岩沼市<城下町・宿場町> 地図
 
町並度 5 非俗化度 9 −旧奥州街道沿いに土蔵建築が多く残る−




 
岩沼の町並は旧奥州街道沿いに残り、海鼠壁が印象的であった。

 

 宮城県中部やや南寄りにある岩沼市は、仙台への通勤圏に含まれていることもあり古い町並が残っているとは余り予測できない。駅に降り立っても都市近郊の住宅商業地という雰囲気の凡庸な佇まいだ。
 但し500mほど道なりに歩いていくと、突当りの南北の通りには古びた土蔵などがある程度固まって残っていて、古い町並といえる姿を伝えていた。
 古くは伊達氏の支城にあたる城下町として岩沼要害と呼ばれ、今の岩沼駅のある付近に要害を構えていた。古内氏が江戸期の大半の期間を統治し、多くの足軽(雑役兵)を従えていた。
 また、町の中央に奥州街道が通り、岩沼には宿駅が置かれた。海岸線を辿る浜街道(江戸浜街道)との分岐点ともなっており、参勤交代時のための本陣も置かれていた。
 一方、竹駒神社は日本三大稲荷の一つと自称しており、堂々とした構えの大鳥居が印象的だ。
 このように岩沼は城下町・門前町・宿場町としての性格が渾然一体とした町場が古くから発達していて、いわゆる仙南とよばれる地域の中心をなしていたのだろう。年に数回馬市も開かれていたという。
 この蔵作りが残る南北の筋は旧奥州街道である。一般に武家屋敷は造りが粗末で、現代にまでその遺構を残すことは極めて珍しく、岩沼でも例外ではない。この町並は、宿駅として栄えた町場に残るかつての商家群の一部なのだろう。
 土蔵の多くは海鼠壁を施している。この海鼠壁は一部の例外を除いて近畿以西で多く見られ、関東地方ではほとんど見ることが出来ないが、東北のこの地で見られるのが興味深い。但し西日本では収納蔵であるのに対し、住宅や店舗などの母屋に採用された店蔵が多い点が異なる。
 この奥州街道沿いの町並は保存の取組を行っているような雰囲気は全くなく、ただ旧街道の案内板一枚だけが外来者に対して設置されたものであった。全くといっていいほど注目されることのない岩沼の町並。古い町並として保存する価値は残されているように思う。




旧奥州街道沿いの町並 関東風の町家建築も所々に残っている。




旧奥州街道沿いの町並

 

訪問日:2005.05.21 TOP 町並INDEX