伊予大洲の郷愁風景

愛媛県大洲市<城下町> 地図
 
町並度 7 非俗化度 4 −肱川の流れとともに栄えた水郷−

 愛媛県の西部、「肱南」と呼ばれる地域の中心となる町・大洲はその通り肱川の中流域に開ける盆地に展開する町だ。鵜飼が行われ、藩政期の交通はこの肱川によった。現在も川とともに息づく町である。

城址から旧市街を俯瞰する 肱川には鵜飼船が繋留されている 家並の背後の小高いところが臥竜山




中町の商家  臥龍山山麓の町並




通称「おはなはん通り」の風景 左:2004年2月 右:2010年7月
 

 城下町に由来するこの町は、町域の西端に城を構えて肱川を自然の要塞とし、城の南西には武家屋敷を従えていた。その東に町人町・商人町が形成されていた。この地区は今でも短冊形の町割、碁盤目風の街路が残っており、形成的に整えられた町であることを物語る。
 現在主に残る古い町並の姿は主に商人町としてのそれである。その背景になったのはやはり肱川の川運である。近隣には内子という晒蝋(和蝋燭の原料)の一大産地を控え、それはこの大洲で船に委ねられ、河口の長浜で大型船に積替えられて大坂その他に帆出された。その他山間部の薪炭、平野部の農産物等が次々と川を下っていった。
 長浜からの帰り荷は肥料や塩などで、それらは上げ潮を巧みに利用していたという。何艘かをつなぎ合わせた「連」をつくり共同で川を上ったという。自力で遡れないときは牛に船を曳かせたという。
 町の産業として木蝋生産や製糸業も発達し、川運の拠点という地の利にも刺激されて商業地が繁栄を極めたのであろう。
 旧商業地の過半数の地区では新しい建物が卓越しているが、臥龍山麓には古い家並が固まって残る箇所がある。これらは、現代になって町が意識して残してこられた雰囲気が伺え、鵜飼などを種に訪れる観光客におもねるような色は薄い。それでも「おはなはん通り」とよばれる一角は近年になって漆喰壁は剥がれるままになっていた姿が整えられたり、観光客用の駐車場や売店が整えられてはいるものの、それを全面に出したような色は薄くありのままの素材を活かした街づくりに徹している努力が感じられる。これは町並としてやや知名度の高まっている町としては評価すべきことであると思う。
 肱川沿いの小高いところにある臥龍山荘は木蝋の豪商であった河内家の別荘。対岸の冨士(とみす)山は春には躑躅の名所。鵜飼もありと水郷とよばれるに相応しい町である。それはやはり町の元来の姿を語る古い町並があってこそ価値が高まるものであろう。













※掲載している画像は2004年2月及び2010年7月撮影時のものが混在しています。

訪問日:2004.02.08,2010.07.19 TOP 町並INDEX