泉佐野の郷愁風景

大阪府泉佐野市<商業都市・港町> 地図
 
町並度 5 非俗化度 8 −海運をもとに泉州の商工業の中心となった−


紀州街道沿いの町並




紀州街道より海側には路地が複雑に張り巡らされており、所々に旧家が残っています。




路地の一隅に残る古風な旧家 公開される新川家

 
 泉佐野市は大阪府南部の和泉地方、東は貝塚市・泉南郡熊取町、西は泉南市、田尻町に接し、北西は大阪湾に面している。古くより漁業の盛んな地で、佐野漁民と呼ばれた漁師たちは中世から対馬や五島方面に出漁した優秀な漁業力を持ち、それを買われ水軍の一翼として加担もしている。秀吉の朝鮮出兵に徴用されたものもあり、かれらはその功績によって対馬の浦々での漁業権が認められていた。
 紀州や熊野へ向う街道沿いに面していたこともあり、漁業力を基礎にして経済の発展も著しく、海産物を扱う問屋をはじめ、この地域一帯で盛んだった綿織物を基盤にした木綿商人も多く存在し、活躍した。廻船業も興り、そこから船大工が生まれ、さらに干鰯、醸造業、鍛冶業、鋳物業など各種商業が次々と集積していた。
 一方海運業では、江戸初期の元禄期に既に300石積以上の廻船88隻が佐野浦に登録され、他の和泉地方の浦々を圧倒する数であった。
 明治以後になると特に綿織物が機械化され工業として発達し、その後鉄道開通によって大阪近郊の住宅地として急速に人口の増加を見ている。
 ここの町並は同じ泉州南部の阪南市尾崎や田尻町と同じく、南海電鉄の線路より東は新しい市街地だが、西は昔からの古い町で、駅前から少し歩くと旧紀州街道にぶつかる。現在では一部にアーケードがかけられているが、商店街を外れた部分には重々しい造りの町家建築が所々に残っている。もと商家だったのだろう。
 街道より海側は複雑怪奇に路地が入組んだ一帯となっていて、地図を手に歩いても迷うほどであった。そしてそれらの細道の所々には、本瓦を葺いた旧家が散見され、小路巡りが楽しい地区である。街路は城下町のような直交するものではなく、無秩序にカーブしていたり、袋小路になっていたりして、其の姿は漁師町そのものであった。
 このような町がまだ大阪の中心から30分ほどの所に残っているのである。町は少し意識されているらしく、公開されている町家もあったが、多くは手付かずの印象を受ける。徐々に歯抜けになって町並の色合いが淡くなるか、ともすれば抜本的な都市計画である時期に根こそぎ失われてしまう可能性も憂慮される。貴重な路地風景を今後にも長らく語りついていだたきたいものだ。
  

訪問日:2005.01.02 TOP 町並INDEX