大津・今市の郷愁風景

島根県出雲市<商業町> 地図
 
町並度 5 非俗化度 8 −川運の拠点として商家が林立した町−









大津町の町並



 斐伊川は中国山地に源を発して出雲平野に下り、宍道湖西岸に注ぐ川である。今は下流部では古くからのたたら製鉄の影響で大量の土砂が堆積して、いわゆる天井川となり水深も浅い。しかしこの川は物資の輸送路として重要な役割を占め、陰陽連絡の交通路の一部でもあった。川港であった三刀屋から多くの船がこの川を往来していた。
ここで紹介する大津町、今市町はその斐伊川水運の拠点であった町である。現出雲市の中で最初に町が形成された地区で、物資はここで荷揚げされて取引を行う商家が多数建てられた。
 その中心であったのが高瀬川で、1687(享保4)年に大庄屋・大梶七兵衛が斐伊川からこの運河を出雲大社付近まで築いたのである。農業用水として敷設された面もあったが主目的は水運のためで、当時としては画期的な事業だったのだろう。


大津町の町並




今市町の町並 高瀬川沿いは修景整備が行われているが重厚な商家の建物も残る


 高瀬川沿いの一部では散策路が整備され、柳並木が連なる雰囲気のよい散歩道となっている。かつてこの運河より慌しく荷揚げが行われていたのだろうが現在は静かな水辺の風景を演出していた。当時の商家の建物は僅かしか残っておらず、所々に残る古い造りの建物や板塀と門に囲まれたこざっぱりした家々に出雲らしい端正さを感じる。
 町並として残っているのはその東側、高瀬川から少し北に離れた街道沿いの地区で、平入り、出格子を多用した古い民家が比較的よく現存している。石見地方に限らず山陰一帯に多く見られる赤瓦でなく、渋い銀色の光沢を放つ屋根並でほとんどが占められている。これは山陰地方の町並の中では逆に特異な印象を抱かせる。理由は突き止めることは出来なかったが興味をそそる。
 一角に山田家住宅が一際存在感を示す。松江藩主が大社参拝の折に度々宿泊しており、本陣として利用された御宅で、私が訪ねたのは既に夕暮れ時で内部を拝見する由もなかったが、申込みをすれば見学できるようだ。本陣として利用されるにあたり数々の増改築を行ったということで、街路から見てもその軌跡が偲ばれる特徴ある外観の旧家だ。
 この町並は生活の色が濃く、多くの住民の姿を見た。空家になっているものも少ないようで、生きた古い町並との印象を強くした。

訪問日:2004.08.11
2014.06.01再取材
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