浄法寺の郷愁風景

岩手県浄法寺町【産業町】 地図 <二戸市>
 
町並度 5 非俗化度 8 
−国産漆の一大産地 藩の保護も得て古くから塗物産業が息づき栄えた−



浄法寺の町並

 浄法寺町は県の内陸北部、高速道により交通の便は良いが山あいの盆地に開ける小さな町である。 
 中世には浄法寺城が構えられたところで、廃城後は商工業の拠点として発展することとなった。その原動力となったのが、全国一ともいわれる良質の漆であった。 
 南部漆と呼ばれ珍重され、さらに地内の天台寺の僧侶によって広められたという塗物はたちまちの内に名産品となった。数々の漆器は南部藩主の用に供される高級品であり、御用木地師を指名して製作され、それらは「御山御器」「浄法寺御器」と称された。
(「御山」とは天台寺のことを指すという)藩域外での評判も高まり、藩は正保2(1645)年に主要な漆器類を対象に域外への無断持出しを禁じる措置をとった。取引による売上は藩の財政の一部とされた。
 域内には八戸から二戸を経て鹿角街道に合流する浄法寺街道が通っていたが、参勤交代などの重要通行も無いため宿駅等は整備されず、また周辺一帯の農村も寒冷な気候風土ゆえに稲作をはじめとした農業は振るわなかった。飢饉が頻繁に発生する土地柄、塗物産業に頼らざるを得ぬ側面もあった。しかしそんな中で、浄法寺街道は漆器を買い求める商人や漆職人たちが往来する道ともなっていた。
 そのため塗物問屋も多数立地し商業地としても発達した。藩政期前半までは盛岡城下の商人による独占が続いていたが徐々に自由化され、岩手郡雫石の商人が移り住んで一大問屋となり、幕末頃には木地師・塗師を傘下に従え、製品を集荷・各地に移出していた。
 明治以降は輪島塗・会津塗など他地域の漆器がその行商力により販路を拡大し、浄法寺の塗師自体も他領に出稼ぎに向いその土地で塗物を育むなどしたため、相対的に浄法寺漆器の知名度や価値は低下してしまった。しかし良質の漆の産地であることには変わりなく、また浄法寺塗の名は現在でも広く知られるところとなっている。
 
町の中心には大柄な商家の建物が見られる。漆産業により繁栄した家々なのか、一部には厳かな門構えの邸宅もあった。二階部の立上がりが高く見応えがし、壁面に梁組を現した真壁が目立つ。屋根がトタン葺でほぼ統一されているのも、東北北部らしい町並の雰囲気を強く感じる。
 また近隣に大型商業施設がない地域のためか、小売店や昔ながらの店が現役で、伝統的な建物以外にも昔ながらの懐かしさを感じる町の風景が展開している印象を抱いた。
 




訪問日:2018.04.28 TOP 町並INDEX