富岡の郷愁風景

群馬県富岡市<産業町> 地図
町並度 4 非俗化度 4 −官営製糸工場に象徴される産業の町−






富岡の町並 中心市街地には商家の建物が建ち並んでいただろうことがわかる

 最近世界遺産登録された富岡製糸場でにわかに訪問客の増加した富岡市。近代化産業が勃興し、そしてその中心として発展した産業町であった。
 江戸期は当地に本拠を置いた小藩・七日市藩の領域であった。現在の富岡高校の位置に陣屋が置かれていた。西上州地域は稲作に適しておらず、飢饉も頻繁に発生し藩財政は厳しかったという。






繁華街に接する地区にも伝統的な佇まいが若干残る


 江戸の初期頃に山間部に位置する南牧領砥沢村で産出される砥石の中継地となり、それをきっかけに新田開発が行われた。寺社も移転され、また上・中・下各町が立てられ三斎市が許可された。取引された商品は生糸や絹であった。また中町には砥石を収蔵する砥蔵が設けられ、下仁田会所を経てここに収められた後、藤岡の河岸から船で江戸に運ばれていた。
 明治になりもともと養蚕・製糸の盛んだったこの地に政府が着目、外国から最新鋭の機械を導入、指導者を招き、官営の製糸場を設立した。富岡製糸場は官営模範工場として知られ、工女の技術も高まり製品は富岡シルクとして名高いものとなった。明治26年に三井家に払い下げられ、その後片倉工業に譲渡されて民間企業となり、昭和62年まで操業が続けられた。工場の建物は木骨煉瓦造で大柄な堂々としたもので、その多くが現存し世界遺産登録される理由となったのは良く知られているところである。
 上信鉄道の駅から南に足を向けると、製糸場への案内標識などは眼につくものの存外観光地の表玄関といった感じのしない佇まいであった。古い町並としては連続性が低いのがやや残念であるが、所々に店蔵や伝統的な外観の店舗などが見られ、古くから商業の栄えた町であることが感じられる。小規模ながら昭和的な商店街・繁華街も残り、製糸場見学の行き帰りに小さな町並探訪が楽しめる。
 但し、多くの客は自家用車で訪れるようで、上信電鉄を使って訪れる客は少ないようであった。





旧富岡製糸場の構内 近代建築を中心に貴重な建物が多く残り古い町並的な風景も見られる


訪問日:2018.06.10 TOP 町並INDEX