野江界隈の郷愁風景

大阪市城東区野江他<都市部の非戦災地区> 地図
 
町並度 4 非俗化度 7 −路地が交錯する街区が島のように残る





野江三丁目の町並


 城東区の一帯は名が示すように大坂城の東側にあり、上町台地の北端に築かれた城とは外れた低湿地帯であった。かつて寝屋川の右岸一帯は広大な湿地帯で、西側の微高地を京街道が貫き、その辺りが最も古くから集落が開けていた。水害に悩まされることも多かったという。
 しかし交通の便は早くから整えられ、明治中期までは京街道の乗合馬車に依っていたが、同43年京阪電鉄が開通、住宅地化、都市化が進行した。現在は市街中心の外縁部といった位置にあり、地下鉄や近年開通したおおさか東線により新大阪とも直結し、交通至便な地となっている。


 
野江三丁目の町並
 

 その最近できた駅であるJRの野江駅を出て西側の一帯、野江三丁目付近は古い佇まいが残るエリアである。地図を見てもそのさまが推測され、周囲は比較的整然とした街路形態である一方、三丁目界隈の特に西側では秩序立ったものが見られず、小路が交錯した様子がうかがえる。事実歩いてみると至る所で路地が派生し、古びた門を持つ旧家や土蔵が散在的ではあるが見られる。西側に向うと、道を挟んで都島区となる方面を見るとマンションなどが林立した風景が隣接していた。ここを境に戦災を免れたに違いない。
 地図を見ると、こういった路地が交錯したような地域が上の野江四丁目、成育五丁目にかけても断続的に続いている。基本的には現代の住宅地・商業地となっているものの、土蔵を従えた家屋や長屋風の住宅も見られる。中でも成育五丁目では厳かな塀に囲われた旧家がひときわ異彩を放っていた。少し歩いて大きな通りに出るとファストフード店などが複数見られるような典型的な町の風景が接しており、その対比は激しい。
 一角には創業80年という旅館の姿もあった。
 


成育五丁目の町並


 

 成育五丁目の町並 成育五丁目の旅館 


訪問日:2022.01.01 TOP 町並INDEX