上下の郷愁風景

広島県上下町<宿場町> 地図 <府中市>
 町並度 6 非俗化度 5  −石見の銀輸送の重要な中継点であった−


旧銀山街道 本町通りの町並


  大正期に造られた劇場・翁座の内部
 

 上下町は江戸幕府により18世紀初頭に天領に指定され、代官所が置かれた。県の東部、福山市と三次市を結ぶほぼ中間点に位置するこの町は、石見の大森銀山で産出される銀の運ばれた道として、一団が数百人を数える銀の輸送隊の宿泊所となった。大森代官の出張所も置かれ、ここは銀山との深い関係の上で発達していった町である。
 福塩線の駅から北東に歩いて数分で、その石見街道に突き当たる。特にその辺りから東側に古い家並が残り、散策客もちらほら見られる。
 江戸期の建築は数軒しか残っていない。しかし桟瓦葺ながら本二階の堂々たる構えで、貼り瓦となまこ壁、二階部には漆喰に塗り込められた出格子窓などが多く残り、明治期らしい構えの大きな家並はなかなか見応えがある。中でも上下キリスト教会のトンガリ屋根は周囲の町家・土蔵造りと絶妙なミスマッチを演じ、印象的である。
 宿場としての機能は福塩線の開通まで続いたらしく、大正初期の町史にはこの界隈に23軒の宿屋が残っていたという。戦後は自動車の普及等もありさらに激減し、現在は6件のみとなっている。しかし銀の輸送華やかりし頃には、芸妓や置屋も存在し、天領の特権として「上下銀」という通貨も許され、福山方面へも融資されたといわれる。
 約1km弱の街道筋は本町通りで、現在は商店街となっているが人の往来もまばらで、かつての賑わいを想像することは困難だ。町並の連続性はそれほど高くはないが、明治時代の一大金融業者、角倉家の土蔵を後に教会として利用した上下キリスト教会の奇妙な姿、黒漆喰の重々しい家屋が2軒続きとなっている吉田本店など、建物そのものは見逃せない。また、少し離れたところには大正時代に建てられた劇場、翁座が残り、今でも時折催物に利用されているという。
 上下の町並は、1996年に当時の建設省の「歴史国道」に選定され、国補事業で街路灯や電柱電線の地中化、舗装の改良などが行われた。造られたような町並が出現するのではと危惧していたが、舗装の色なども控えめなものであり、また建物も最低限の整備に留めたようで好感が持てた。








※前半4枚:2002年12月撮影
  後半4枚:2009年4月撮影

訪問日:2001.08.16
(2009.04最終取材)
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