重要文化財の建物

−喜多家住宅−

(石川県野々市町)


 野々市は北国街道が横断し、大城下町金沢を控え宿場町・商業町として栄えた古い歴史を持つ。
 街道沿いにひときわ大きな構えを見せるこの重文喜多家住宅は、もと福井藩武士で高崎姓を名乗っていた。江戸後期からは油商そして造り酒屋として有数の商家となった。
 ところが、明治24年に発生した野々市大火により土蔵以外全焼、再建に当っては金沢材木町の醤油商の建物を買い取り、移築したのだという。
従って今見る外観は、金沢の市街地ではほとんど見られなくなった商家の建物が保たれた貴重な例であり、丸ごと移築されたという特殊な履歴にもこの建物の価値があるところだ。

 
 
 
 北国街道沿いに堂々とした間口を持つ喜多家住宅




  
広い間口以上に深い奥行に驚く 母屋の裏には造り酒屋時代の酒蔵が残っている 




二階につながる階段は蓋をし移動できる構造 使用人の部屋だったという




貴重な品々も残る 小さな車輪がついている車箪笥 花嫁暖簾 加賀の伝統文化だったそうだ



裏庭に接する土間 積雪地でもあり扉で隔てられる



庭には野々市用水が流れている


 間口に対して奥行の深い典型的な都市型の町家で、奥には裏庭そして造り酒屋時代の名残である酒蔵があり、今でも酒造設備の一部が残っている。面白いのはそれらに用水路が貫流していることだ。案内の方は「野々市用水」といわれていたが、ネットで検索すると富樫用水、郷用水など多数の水路が町内を流れており、それらを総称して野々市用水と呼ばれているのかもしれない。
 京町家なら、庭に接して縁側が直に接しているが、ここでは積雪地帯であるため土間と扉で隔てられている。この辺りにもこの土地らしい工夫が感じられる。
 母屋の座敷には、貴重な品々が保管されている。下部に小さな車輪があり、移動が容易にできるような造りとなっている車箪笥、頑丈な船箪笥、加賀の女性が嫁入りのときに納めたという花嫁暖簾その他多数。
 重文に指定されたのは昭和46年と随分前になるが、それも金沢の伝統的様式を受け継いだ貴重な建物だからこそだろう。しかしこの邸宅の維持は容易ではない。ご主人は生活の基盤を築いた首都圏とを往復しながら、この旧家を守っているそうだ。




裏庭より母屋を眺める

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