重要文化財の建物 |
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尾道市街地の対岸に見える向島。造船所なども眼に入り工業の島というイメージをもたれる方も少なくないかもしれない。しかし実際は、緩やかに起伏する丘が続き、のどかな農村地帯が広がっている。この旧吉原家は、そうした一角に残る農家建築としては非常に貴重な建物である。 田園と住宅の入り混じる周辺環境に突如現れる立派な長屋門と茅葺の大柄な主屋には驚きを感じる。 主屋、納屋及び表の長屋門が国重文に指定されており、寛永12(1635)年建築。吉原家は近隣五ヶ村の庄屋をつとめていた豪農宅で、建物はその重厚さのみならず、様々な工夫、そして当時の生活事情が反映された貴重な姿を残す。 主屋は6つの座敷、土間を内包する。座敷の手前には食事どころとして使われた板の間があるが、「下板間」「中板間」と2段構成になっており、子供や女中、使用人などは中板間での食事は許されなかったという。こういう序列をつくることで、秩序が守られていた社会でもあった。 |
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長屋門 | 玄関を入り土間に入って座敷方向を望む |
土間にある「芋ツボ」 収穫した芋を貯蔵しておく穴 内部は数人は入れる大きさがある | |
土間で特筆されるのは「芋つぼ」である。これは収穫した芋類を貯蔵しておくための地下室で、これにより飢饉も免れたという。この宅地のすぐ下は岩盤となっており、掘削するのは困難だっただろうが、それだけに貯蔵するのに適した空間であった。 前庭にある独特の形をした虚無僧灯篭、井戸、そして納屋や便所など、専門の係員により20分ほど案内を受けた。当時の人々そして暮らしに思いを馳せると、かなり裕福な豪農であるはずなのに、やはりその暮らしぶりの厳しさがわかる。 |
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食事どころの土間 序列ごとに2段となっている | |
主屋の裏手 左の納屋も重文に指定されている | 便所 左側に一時貯蔵し「肥」として農業肥料に使われた |