重要文化財の建物 |
母家を正面から見る |
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新潟市街地から南に15kmほど、中ノ口川左岸、旧味方村にある豪農宅である。 大庄屋をつとめていた当家は、味方8ヶ村と呼ばれた各村を束ねる役を持ち、年貢を取りまとめ、藩の役割の一部を委譲されていた。 また、付近の低湿な土地を改良し、水田をはじめとした耕地とする新田開発にも貢献した。 茅葺の屋根をもつ表門をくぐると広大な敷地が広がる。母屋は文政2(1819)年に火災に遭い、以後再建されたものだが、その姿は農家というよりは豪商そのものであり、土間に接する広間・次の間・三の間の広さ豪壮さには圧倒され、さらに奥に居間、客間など10を数える座敷を持つ。 昭和29年には表門や母屋、土蔵などが重要文化財に指定されている。 |
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正門 一般住居の門とはとても思えない | 広間から三の間・次の間を見渡す |
土間と囲炉裏の間 立派な梁組が確認できる | |
座敷に見られる床の間や欄間の意匠などはシンプルながらも優雅さを感じることができる。畳の間の外回りは廊下に囲まれ、雨戸で完全に遮断できる構造となっているのは、やはり雪国らしいつくりである。とはいえ現代の家屋とは異なり隙間は多く、冬の冷気や湿気にも見舞われる中でこの保存状態というのは、文化財指定後はともかく住まわれていた時代に大切にされていただろうことを証明している。 |
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広大な敷地には樹木林や池も配置される |