重要文化財の建物 |
真壁が印象的な旧黒澤家の主屋 |
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県の南西端を占める上野村。山深い一帯も古くは信州とを結ぶ街道が横断し、人や物資の往来も多かった一帯である。 神流川上流に位置する楢原という集落に、ひときわ目立つ大屋根の建物がある。国重文に指定された旧黒澤家住宅だ。 この地域はかつて山中郷と呼ばれ幕府領であった。山中郷はさらに上山郷・中山郷・下山郷に分けられ、当家は上山郷の大総代を代々務めていた。 黒澤家は広大に展開する幕府の御用林を管理し、産出される良質の木材は神流川を下り江戸へ運ばれていた。御用林には御巣鷹山と呼ばれた狩猟用の鷹を捕るための保護地区もあり、幕府に鷹を献上した。 黒澤家住宅は19世紀半ば頃の建築と考えられ、外観上は町家というより豪農宅といった印象だが、内部に入ってまず印象的なのが開放的な一階部の景観だ。囲炉裏をしつらえた茶の間と呼ばれる吹抜けの間の周囲には多数の座敷が取囲んでいる。さらに西側には廊下を挟んで四つの座敷が並ぶ。これらは幕府の代官等が訪れた時に使用されたといわれる。 二階は養蚕に使われていたとされ、現在は養蚕をはじめ地区で盛んだった紙すき、機織などに使われた道具等が展示されている。当家の日常生活から幕府の要人の迎え、そして産業も含め、全てこの建物内で営々と行われていたわけだ。 |
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屋根は石置き板葺きという栗の板を石で押えたものであり、この地区では割れ易い瓦よりも近隣の山で簡単に手に入る栗の木を用いる家々が多かったという。妻部の見事な真壁など、外見上も見事で重文に指定されるに相応しい建物であった。 |
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旧十国街道沿いに位置する黒澤家 | |
内部で特徴的なのは吹き抜けの「茶の間」と呼ばれる囲炉裏のある空間を囲むように部屋が配置されていることだ | |
西側は茶の間まわりの部屋奥に狭い廊下があり さらに幕府の要人などの来訪時に使われたという部屋が置かれている | |
欄間と釘隠しの意匠 | |
養蚕に使われていた二階部分 |