神楽坂の郷愁風景

東京都新宿区【花街】 地図 
 
町並度 5 非俗化度 2  −料亭街が路地に展開する古くからの遊興地−





 神楽坂はJR・地下鉄各線の飯田橋駅が最寄り駅となり、旧江戸城外濠から西にはずれ牛込台地に向かう上り坂のことを指す。付近一帯は料亭街として現在でも注目され、訪れる人々が途絶えることはない。
神楽坂三丁目の町並




神楽坂三丁目の町並 料亭街が展開している
 
 
 地名の由来は市谷八幡宮の祭礼の折にここで神楽を奏するのが通例になっていたからなど幾つかあり、かつては揚場坂と呼ばれていた。
 江戸末期は「牛込花街」として多くの男達の遊興の地となり、明治の頃は神楽坂というと有数の繁華街・花街として広く知られていた。三業と呼ばれた料理屋・置屋・待合もここで急速に発達し、現在の飯田橋駅の対岸に中央本線の前身である甲武鉄道の終点駅が設けられてからは大変な賑わいだったという。殊に日清・日露戦争時の好景気には700人にも上る芸妓を有するほどで、当時の東京市では屈指の盛り場となっていた。頂点となったのが関東大震災後で、台地上のこの付近は大きな被害を受けなかったこともあり銀座界隈から百貨店などの臨時出店があり、また飲食店も多数立ち並んだこともあり市内第一の繁華街として知られていた。
 遊興の中心であるだけでなく先進的な商店街でもあり、戦前はレストランや下駄屋など流行の店も建ちならぶところとして賑っていたが、戦後は次第に新宿界隈に客足を奪われていった。
 神楽坂通りはどこにでもあるような現代の商業地区であるが、その両側に派生する路地に古い町並的な佇まいが多く残っている。三丁目界隈を中心に、石畳調に舗装された歩道の両側に格式ある料亭が幾つも建ちならぶ風景が見られる。遊里としては廃れたとはいっても現在に至るまで芸妓が存在する遊興街でもあり、路地風景は京都祇園界隈をも想起させるに十分な風情を保っている。異なるのは背景に高層ビルが控えていることだろう。
 台地の端に位置するため傾斜地が多く、その地形を上手く利用しわずかな遊び地などを有効に活用している。石段を降りて風情ある料理屋の玄関に辿り着くといった粋な風情も、この地形の妙があってこそのものであろうし、訪ねる客もそうしたものに魅力を感じている向きもあると思われる。
 付近は高級住宅地でもあり、また料亭を中心に路地風景が特徴的なこの神楽坂界隈は、都心に位置する洗練されたオアシスのようなところであろう。江戸期以来の深い歴史の上に息づいていることを意識しながら歩くとなおさら味わい深い散策となることだろう。
 
 

 



神楽坂二丁目の町並 地名はこの坂から名付けられた
神楽坂三丁目の町並




神楽坂三丁目の町並 神楽坂二丁目の町並

訪問日:2009.05.30 TOP 町並INDEX