海田宿の街道風景

広島県海田町<宿場町> 地図
 町並度 4 非俗化度 7  −脇本陣も残る山陽道の宿場町−


成本の町並

稲荷町の町並





稲荷町の千葉家住宅

上市の町並





街道沿いの町家には袖壁が比較的良く残っています。
  


 
海田町は広島市に周囲を取り囲まれ、海岸部には工場群、その他は住宅地が広がる町で、国道を通過する車からは古い町並が存在するとは考えにくい。しかし山陽本線の北側の山裾に近い一帯は旧山陽道の沿線であり、海田宿は宿場、市場として江戸期に栄えていた。
 「芸備通志」によると、「館庁あり、伝馬十五匹、駅を置き市聚を成せり。居民農樵、商売、船運、脚夫の類相雑る」と記され、広島藩から寛永10(1633)年に宿場に定められた。参勤交代時の大名の宿舎も備わった本宿であった。
 現在残る古い家並は、西側が一部町域を跨いで広島市安芸区船越町の東端付近から、新町、下市(稲荷町)、上市、市頭、成本地区にかけて面影が残っている。上市付近が宿場の中心であり、ここには御茶屋と呼ばれた藩営の本陣があったが、明治期には町に買取られ、その土地には小学校が建設された。しかし、脇本陣を勤めた千葉家は、今でも往時そのままの姿で残っている。近年まで、表玄関に大名の駕籠を置く「駕籠置き石」があったというが今では裏庭に移されている。この周囲には、袖壁を従え、虫籠窓など古い町並らしい町家が比較的残っている。街路に対して斜めに建っているのは、大名行列がすぐに視界から消えるようにして、土下坐する時間を少なくしようとした住民の智恵らしい。
 都市近郊の住宅街化が著しく街道も非常に交通量が多いため、デッドスペースの多いこの建物配置は、狭い通りをより通行しにくいものにしている。古い構えも、その多くは1階を店舗に改造したり、サッシにしたりと、江戸の昔を直接は偲びにくい。建物単独でなく町並全体としてのあり方をどう位置付けして行くかが課題である。

 
 
 
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