海瀬の郷愁風景

長野県佐久町【商業町】 地図 <佐久穂町>
 
町並度 4 非俗化度 8 −養蚕や鉄道工事などを機に賑わいを増した千曲川右岸の町並−
 


 
海瀬の町並

 

 小諸と小淵沢を結ぶ小海線に海瀬という駅がある。片面ホームと待合所のみの無人駅で、駅から北西に少し足を向け四ツ谷という交差点から北に向かうと、古い町並が展開しはじめる。二階部の立上がりが比較的高い主屋に土蔵を従え、真壁の妻部を表に向けた姿は一見妻入りに見えるが、入口は横に廻った平部にあるものも見られた。
 江戸時代初期は小諸藩領、その後は幕府領で、明治8年までは上海瀬村・下海瀬村・海瀬新田村に分かれていた。千曲川の対岸には佐久地方と甲州を結ぶ佐久甲州街道があったが、右岸側のこの街路も脇街道として若干の通行があったとされる。
 明治には稲作中心だったが大正期に入ると養蚕が盛んになり、製糸工場も立地した。明治前期の記録では人口約1600、馬76を有し、産物は米千石余、小麦300石弱とあり、繭680石は群馬県へ、生糸や薬用人参は横浜へ送られた。明治操業の相馬醤油は今も醸造を続け、伝統的で格式ある構えのまま営業されている。近くには海瀬館との看板のある旅館建築も見られた。
 また大正前期に小海線の前身である佐久鉄道の建設が行われ、それに伴い工事関係者などで地区の人口は増加した。街路を北側に進み千曲川に注ぐ支流を越えた東町地区は鉄道開通の恩恵を受けて発展したところで、小さいながらも商業地区となった。現在もその名残が残っているものの、閉店しているものが多く人通りは少なかった。それでも昭和の後期になるまでは商店街として賑わいを呈していたのだろう、大きく屋号を掲げた看板建築、小売店や飲食店が連なっている。しかし今後その名残は徐々に淡くなっていくのだろう。
 地区の北端には千曲川に架る栄橋が異彩を放っている。RCのローゼ桁という珍しい形式で昭和13年竣工、土木遺産的価値が高いものである。このような当時としては画期的な工法で架設された橋梁があるということからも、それだけ往来が多く繁栄していた界隈だったのだろうということがわかる。




海瀬の町並 左は醤油商




東町の町並 商店街として賑わったところで看板建築も多く見られる


栄橋
訪問日:2018.09.24 TOP 町並INDEX