水間寺門前の郷愁風景

大阪府貝塚市【門前町】 地図 
 
町並度 3 非俗化度 6  
−水間寺の門前町 厄除けの寺として多くの参詣者を迎え入れた−





水間寺の本堂と厄除橋付近から見る門前の町並
 

 南海電鉄の貝塚駅から水間鉄道に乗り15分ほど、終点水間観音駅は寺院を模した駅舎が特徴的である。水間寺の最寄駅で、大正時代に開通した頃は沿線の人家も少なく、純粋に水間寺を詣でる客のために建設されたものであった。
 水間寺は広く水間観音の名で親しまれている。和銅元(708)年に開創といわれる歴史の古い天台宗の寺院であるが二度にわたり壊滅的な状態となった。天正13(1585)年の羽柴秀吉による紀州根来征伐時には根来衆に味方したことで焼き払われ、江戸期に入って岸和田藩主により再建されたが、天明4(1784)年の火災で本堂などを焼失し、文政10(1827)年に再興されて現代にいたる。厄除け参りの寺として現在も多くの参詣客があり、行事も多く境内や門前は賑わう。
 鉄道が開通するまでは貝塚寺内町とを結ぶ水間街道が参詣路であった。水間観音駅から門前に向け、二車線の道ではなく向って右側の細道を辿ると、所々に面影が感じられる。瓦を葺いた立派な土塀に囲われた邸宅、古くから営業される店舗の姿。やがて厄除橋という石橋とともに本堂、五重塔などが見えて来る。
 周囲を歩くと、この街路沿いより寺の東側に賑わいの中心があったようで、昔ながらの構えの飲食店などが見られるがそれほど大きなものではない。それより印象的だったのが山裾一帯に大柄な商家の建物が複数連なっていることだ。いずれも本瓦が葺かれ重厚な外観で、寺の有力者の邸宅なのか、真相はわからなかった。
 




水間鉄道・水間観音駅  




旧水間街道の町並




 
門前周辺には立派な屋根を持つ邸宅も見られる

 
訪問日:2022.11.19 TOP 町並INDEX