加治木の郷愁風景

鹿児島県加治木町<武家町・在郷町> 地図 <姶良市>
 
町並度 4 非俗化度 6 −加治木島津氏の居館跡が残る 水陸の要衝としても発達した−






加治木護国神社付近(島津氏の居館跡)
 

 
加治木町は県の中部、鹿児島湾に面し日豊本線や高速のジャンクションも近く交通の便に恵まれたところである。
 中世には加治木城が構えられ、加治木氏が城主として代々継承していた。戦国期に島津氏に攻略されてからは当氏が支配するところとなったが、豊臣秀吉の九州征伐によって一時秀吉の直轄領となる。その後慶長12(1607)年に島津氏に返還された。それを受け帖佐平松城に起居していた島津義弘はここに移り、加治木城の南の麓地区に複数の御殿を建て、居館とした。現在の加治木護国神社や小学校のある辺りで、石垣などにその遺構を残している。義弘亡き後も代々ここを本拠とした。加治木島津家は島津氏支族中でも高格とされ、江戸末期には持高も最上位とされた。
 加治木は武家町とは別に、中世より貿易港として栄えており、鹿児島藩の政治・流通・経済の中心地の一つとなっていた。大隅や日向諸県郡、また薩摩北部への陸上交通の要衝となった。物資も集まり易く毎月5・9日に六斎市が立った。また鹿児島湾の最も奥まった位置にあることで港町としても発達した。
 島津氏御殿跡の付近は気品と厳かさの漂う町並風景が展開している。小学校の敷地は御殿が並んでいた場所で、校門も城をかたどったものが採用されている。
 この周辺はもと麓地区であったので集落のあちこちに特徴ある景観が見られる。入り組んだ路地が不規則に展開し迷路のような街路形態となっており、連続した歴史的景観は少ないものの石垣や生垣、門や土蔵などが所々に現れる。散策するには好ましいものがある。



 









反土地区の町並

訪問日:2020.01.02 TOP 町並INDEX