加計の郷愁風景

広島県加計町【商業町・川港町】 地図 <安芸太田町>
 
町並度 4 非俗化度 7  −山陰山陽の物流・船運の拠点として発達−







 加計町は県の北西部、太田川に数本の支流が合流し小盆地を形成したところに市街地が展開している。
 中国山地沿いのこの付近は全国でも過疎の進行が顕著で、今町の中心を歩いても静かな山間の町というイメージでしかない。しかしこの町は近世以降、山陰・山陽を結ぶ交通の要衝として、また水運の拠点として大きく発達したところである。
 江戸前期の万治3(1660)年には早くも毎月三度の定期市が開かれている。当初は周辺農村の産物と生活必需品が交換される程度であったが、中期以降太田川船運が本格化すると可部の町人や広島城下との商取引も盛んに行われるようになり、また街道を通して浜田や津和野など石見との物流もここで行われた。
 また中国山地一帯で盛んに行われた砂鉄採取・製鉄業はここでも産業の一つとなり、有力な鉄山経営者も存在した。鉄製品も製造され、大坂などへも販売されていた。
 元禄4(1691)年には50艘の川船を有し、持主は船株仲間を結成、船の運航や荷積などに関して取り決めを定めた。藩の統制物である紙・木炭・木蝋・煙草などの産物が積出されていった。
 旧市街地は、支流滝山川の左岸付近から東、国道433号の分岐点あたりにかけて続く。切妻平入りの家屋が連なる都市型の町割で、北側に派生する幾つかの小路からは敷地の深い奥行とともに土蔵、三階建ての母屋を持つ家などが見られる。船運と市場で繁栄していたことを今に伝えているようだ。
 なお市街地北外れの山裾には、鉄山経営者であった加計隅屋の山荘が残され、現在も吉水園として初夏と秋の数日ずつ一般公開されている。 









訪問日:2017.06.03 TOP 町並INDEX