嘉家造丁の郷愁風景

和歌山市嘉家造丁<城下町> 地図
 
町並度 3 非俗化度 6 −和歌山城下の北入口に当たる町人地−





嘉家造丁 堤防上に残る町家建築
 

 この嘉家造丁周辺は中心市街地の北端に当る地区だ。それほど距離を置かずして北には紀ノ川が流れ、城下の入口の町人町として位置づけられたという江戸期の歴史も地図をみると納得である。
 嘉家造りとは「懸け造り」からの変化でもともと家の建て方を指していて、堤防などの斜面に町家を建て、半地下構造を持つのだという。ここの例でいうと、堤防の肩に面して入口を設けており、玄関を入ると階段を降りる仕組になっている。
 堤防は江戸時代の紀ノ川の水害を機に築造され、現在は国道24号線として使用されている。堤体幅が現代の道路幅と一致しており極めて有効的に利用されているといえよう。特徴的なのは堤防上の家並が片側にしか展開していないことで、当時も「片原町」と呼ばれ紀ノ川から見ると川裏側のみに家屋が建てられていた。万一の洪水に備えてのことだろう。
 一階部分は粗い格子、二階部分は漆喰に塗られた町家が散在している。多くは商人であったが武家も住んでいたといわれる。また藩主通行の際に休息所となり、西国巡礼や熊野方面への旅人などのための旅籠も複数あったとされ、城下の入口ということもあって通行も多く大変な賑わいだったという。
 当時は堤防上に家並が連なっていたのだろうが、現在見る風景は断続して残る幾つかの町家のみで、既に古い町並というには厳しいものがある。しかしそれでも立て看板があり、嘉家造丁の歴史と建物についての解説が示してある。この町家群の貴重さを認識しておられ、保存に向けた動きを示されているようだ。









訪問日:2009.03.29 TOP 町並INDEX