掛合町は中国山地の一角にあり、斐伊川の上流域に位置する山間の町である。国道54号線が町を縦断しており、ここから南は標高が一気に上がり飯南地区の高原地帯となる。
古くは懸合と表記され、中世には懸合城も存在していた。江戸時代には飯石郡の南部が広瀬藩領であったのに対し、掛合村は松江藩領となり、藩の辺境の地として番所が置かれ、藩士が詰めていた。
この一帯はかつて砂鉄生産が盛んで、たたら製鉄と呼ばれる和鉄により繁栄していた。鉄の豪商も多く存在していて、ここから山一つ東に隔てた吉田の田部家がその代表格であるが、掛合にも多くの和鉄生産・山林経営者が存在していた。山林を領有するのは砂鉄のためだけでなく、製鉄に大量の木炭が必要であったためである。
また牛や馬の名産地としても知られ、定期的に牛馬市が開催されていた。殊に名馬がよく産され、松江藩にも珍重されていたという。藩は馬を乗用馬として定期的に買い付けて、年老いて使役に堪えぬようになるとこの地に下付して種付け用とした。
今は他の中国山地の町として例外ではなく過疎化が信仰しているが、産業・在郷町として発達した当時の様子は感じ取ることができる。ゆるい坂道に沿い展開する旧市街地は商家を思わせる間口の広い町家建築の形を保っていて、豊かな町であったことを感じさせる。坂の上には造り酒屋が鎮座し、酒蔵資料館として公開されている。
余談だがこの造り酒屋は元首相竹下登氏の実家であり、記念館も造られている。
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