波多の郷愁風景

島根県掛合町【産業町・在郷町】 地図
 
町並度 5 非俗化度 10−−山間の静かな集落 製鉄業で繁栄した−




波多の町並
 

 頓原町から掛合町に向けて国道でトンネルを抜けると下り勾配となり、まもなく西側に分岐する道がある。静かな山間を縫う道で交通量も少ない。ここで紹介する波多集落はそんな一角にある。
 江戸時代は大半を松江支藩の広瀬藩領として経過し、大田方面から頓原へ通じる道に沿い集落が発達していた。宿駅的な役割もあったとされるが、天保期に残る記録では宿屋2軒のみであり、時折通る商人が宿泊する程度であったのだろう。しかし同時に鍛冶屋3、紺屋2などの記録も残り、また運上銀を藩に献上していることから在郷町としては栄えていたようだ。
 その背景にあったのが鉄山だろう。出雲地方の山間部はかつて砂鉄採取・製鉄業が一大産業であり、多くの町がそれで生計を立ててきた。幕末にはタタラ(製鉄炉)が設置され、これを中心に発達の頂点を迎えた。明治以降は斧・鎌・包丁などの鉄製品のほか、薪炭、酒や醤油などの醸造業もあった。
 県道から川を挟んだ反対側に原型を留める町並は往時の姿を冷凍保存されたように残している。空家となっているものも少なからずあるようだが今でも比較的連続性が感じられ、古い町並として評価できる。呉服商の古びた看板を掲げた旧家、洋風の建物も残り、現在にあってはこんな所に何故といった感触である。
 その意外性もさることながら、山々に囲まれたその環境を背景に質感的にも良いものが残されている。
 
 
 









訪問日:2011.11.13 TOP 町並INDEX