亀嵩の郷愁風景

島根県仁多町<在郷町> 地図 <奥出雲町>
 
町並度 4 非俗化度 10 −雲州算盤の発祥地−








亀嵩の町並


 亀嵩(かめだけ)という地名は鉄道に興味のある方なら木次線の駅舎に名物の蕎麦屋が併設されていることで知られる方も多いだろう。
 戦国時代には城が構えられ、三沢為清が天正2(1574)年に亀岳城から移ってきたことが地名の由来とされる。当時から零細ながら城下町が形作られていたという。市も開かれていたという記録がある。
 江戸時代になると人の往来も増え、亀嵩川に沿うこの往来は松江城下や海岸部の町と中国山地奥地とを結ぶ道筋の一つとなっていたようだ。毎年年末に市が立てられており、小規模ながら在郷町の賑わいを示していて目代が置かれていた。
 当地の産業に算盤がある。江戸後期、この町の村上吉五郎という大工が芸州広島の算盤に魅せられ、それを改良して好評を得た。明治初期には生産工具の改良を重ね全国に名高い雲州算盤として売り出されることになった。
 町並は国道432号線の西側に一本の街路に沿って、直線的に展開する。北部ではほぼ直角に折れ曲り、その東側にも家並が連なっている。街道集落の外観で、国道がバイパス化して造られたために守られた形だ。家々は平入り・切妻の形を取り、小さな町並ながら密度濃く連続性の高い家並風景が展開している。屋根は石見地方由来の赤褐色の瓦が過半数を占めていた。
 

 



訪問日:2007.06.17 TOP 町並INDEX