亀崎の郷愁風景
愛知県半田市【港町・商業町】 地図 町並度 6 非俗化度 8 −知多半島東部の古い町 泊地・遊興地として賑わいを見せた− |
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亀崎の町並 | |
亀崎は現在半田市の一部で、国道の主要幹線から少し外れた位置にあることから比較的旧来の姿を留め、古い町並を残していた。 知多半島東岸の諸地域は古くから海運が盛んで、この亀崎も例外ではなかった。江戸時代には20余戸もの酒造家が存在しており、それらは江戸を中心に遠方に向け海路積出されていった。大きな川のない半島においては農業は振るわず、海運に携わる者も多かったのだろう。 一方でこの付近は伊勢方面から三河国への往来の中継地とされていた。桑名と半島西岸の大野(現常滑市)間の伊勢湾に航路が開かれ、半島を横断しこの亀崎で再度舟運に依っていた。伊勢参りの旅人をはじめ、多くの客がこの亀崎を通っていった。宿を取る者も多く居たことだろう。その繁栄振りを偲べるのが、「黒鍬街道」と呼ばれているらしい一本道である。 この亀崎地区は幹線道路から外れたため、古い町並が保たれている好例だろう。二階建の木造家屋が高い連続性を保ちながら連なっている。大正から昭和初期に建てられたものではないかと思われ町並としてはそれほど古いものでは ないが、ほぼ例外なく二階部分に欄干が設えられているのが特徴的だ。 これらの町家の一部はかつては置屋であったという。この町の春の一大行事「亀崎潮干祭」で歌われる『伊勢音頭』にその情景が詳細に語られている。ここで紹介するのは差し控えるほどの生々しい叙述で、当時いかにこの界隈が遊興の坩堝にあったかが伝わって来る。 明治以降も主要な町であり続けたことは、明治19年開通の国鉄武豊線が、当初ここと半田にしか途中駅を設けなかったことからも伺える。産業として知多木綿で知られる木綿織物が台頭し、明治から大正にかけて職工の町となった。その頃までが亀崎の隆盛期といえた。 |
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一部には寄棟の建物も見られる | |
黒くくすんだ家々が続く家並は伝統的建造物群というのとも少し違う。比較的近い時代の庶民的賑やかさが感じられる町並だ。 一角には斜面を利用して建てられた格式高い料亭「望洲楼」がある。名古屋の奥座敷と称されるほどで偉人要人が多数訪れた。このような施設があることからも、この町がいかに重要な位置付けのもとにあったかがわかろう。 |
訪問日:2008.03.23 | TOP | 町並INDEX |
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