里の郷愁風景

鹿児島県里村【武家町】 地図 <薩摩川内市>
 
町並度 6 非俗化度 8 −甑島列島の入口にあたる集落 外城集落の名残が明確に残る−

 




里(外城集落)の町並
 

 川内川河口より約30km沖合、東シナ海上に連なる甑島列島。上甑島の東部にある里地区は本土より最も近く、川内や串木野からの高速船やフェリーが発着する。
 中世は亀鶴城が構えられ、承久の乱(1221)の戦功により鎌倉幕府より甑島を与えられた小川氏が居城していた。しかし文禄4(1595)年、島津氏の直轄地となり曽木・酒匂両氏を代官として派遣し、地頭政治が行われた。
 港から南へ1km弱の小高い所に亀鶴城跡がある。眼下の里小学校の位置に地頭仮屋(地頭職が起居する屋敷)が置かれ、その外側に麓集落が形成された。集落は玉石垣が重ねられた中に屋敷地を持つ独特なもので、新しい建物はほとんどない。地頭仮屋に近い中町馬場と突当りを折れたところにある新町馬場の二本の通りに展開し、小規模ながら見応え感のある集落風景が展開している。石垣の上に常緑樹による生垣が整えられているのもそれを際立させているようだ。周囲の海岸は玉石の浜であり原料は豊富という。一方で他の外城集落で見られるような厳かな門を持つものは見られなかった。








 港周辺が地区の中心で、陸繋砂洲という特有の地形上に家並が見られる。この付近から西側の薗地区と呼ばれる一帯にも石垣に囲われた家々が展開している。石垣の様子から麓集落よりは新しいようであるが、こちらもなかなかどうして訪ね甲斐がある。南方性の樹木の根が石垣に張り巡らされた光景もあった。
 また麓集落・薗地区ともに家々はほぼ平屋の寄棟屋根で統一されており、沖縄の民家との共通点が感じられる。甑島は江戸期に南西諸島を経由し東南アジア方面との交易が盛んだったというが、それにより琉球の建物文化が伝わったのかもしれない。
 この玉石垣の連なる風景は国土交通省の「島の宝百景」にも選定されており、大切に守っていただきたいものだ
里(外城集落)の町並
 



 
 里(薗地区)の町並



里(薗地区)の町並

訪問日:2020.01.03 TOP 町並INDEX