上野尻の郷愁風景

福島県西会津町<宿場町・河港町> 地図 
 
町並度 5 非俗化度 8 −河港も発達した越後街道屈指の宿駅−



上野尻の町並


 西会津町上野尻地区は会津地方の西部、阿賀川左岸に立地する。会津盆地は尽きているが谷あいというイメージではなく、周囲は狭いながらも平地が展開している。
 若松・新発田両城下町を結ぶ越後街道(越後側では会津街道または若松街道)が通過し、宿駅がここに設けられていた。天明8(1788)年から西側の下野尻とともに相宿という形をとり、併せて野尻宿とも呼ばれた。
 
阿賀川の河港もあり、水陸双方の交通要衝として賑わったところである。特に廻米輸送の拠点となり、米問屋が活躍した。川を下ってきた米はここで一旦陸揚げされ、役人の検査を受けた後陸路津川または徳沢の河岸まで運び、そこから舟運に委ねられていた。これは野尻宿の下流側に川の難所があったためで、必然的に河港としての機能が発達することとなった。このため江戸後期になると越後街道中でも五指に入る賑わいを見せるようになったという。家屋数も寛文10(1670)年には49であったものが文化6(1809)には99に増加している。
 また寛政3(1791)年から文政2(1819)年まで野尻郡役所が置かれ、野沢・山三郷・津川の代官所を統括した。このように地域の政治的中心でもあった。
 国道49号と磐越西線の中間付近に旧街道が道筋を残している。上野尻宿は一直線の見通しの良い街路上に展開し、道幅も広く開放感を覚えるような町並風景がまず特徴といえる。遠方には残雪の山々が見渡される。家々は短冊状の細長い土地に区割された宿場町らしい建て方で、土蔵造りの店蔵が目立つのが印象的であった。
 上野尻地区から大きく円を描くように北から西に回りこむと下野尻宿で、緩い坂道に沿い土蔵や妻入りの家屋が見られ、小規模ながら街道集落らしい色を残していた。




上野尻の町並




上野尻の町並




下野尻の町並


訪問日:2019.04.29 TOP 町並INDEX