上関・室津の郷愁風景

山口県上関町<港町> 地図
 
町並度 5 非俗化度 7 −朝鮮通信使の寄港地であった歴史ある町−
  



上関町は山口県の南東部、柳井市の南に突き出した上関半島の先端の室津と、対岸の長島にある上関を町の中心とする。
古くは竈関(かまどがせき)と呼ばれ、現在でも上関の山腹にある竈八幡宮などにその名を残している。原発問題を抱えるこの町だが、訪れた者には穏やかな漁村の風景が出迎えてくれる。
上関の町並





 上関の町並。これらは商店なのですが営業していないようでうらぶれた感が漂っていました。
 ※残念ながら手前の2軒は現在取り壊されています。
 上関を象徴する旧家。入母屋の屋根の妻部に斜めに張り出した珍しい袖壁、そして前面の菱形虫籠窓が特徴です。




室津の路地 室津の町並


 
 
室津より上関側の長島を望む。手前の塀に囲まれた豪邸は松前家、奥は室津のシンボル・四階楼。
 


 瀬戸内海に突き出し、波静かな内海を持つこの上関・室津は、古くから瀬戸内海上交通の拠点であった。防長三海関の一つに数えられ、往来が頻度を高めた江戸期には、朝鮮通信使をも受け入れた。この使節団は来日12回を数え、大坂で川舟に乗換え、淀で上陸して江戸へ向った。それらの折の途中寄港地はほぼ決まっており、西から赤間が関(下関市)、上関、蒲刈(広島県蒲刈町)、鞆(広島県福山市)、牛窓(岡山県牛窓町)、室津(兵庫県御津町)、兵庫(神戸市)で、国際港でもあったのである。
 国内の商業交通、そして参勤交代時もここを要とした。西回り航路の寄港地となり、いわゆる「北前船」も立ち寄った。中世より江戸初期この地区は「地乗り」といわれる陸に沿って進む航路が取られたが、以後の操船技術の向上、船舶の大型化などに伴い沖を短距離で結ぶ「沖乗り」が主流となった。しかし上関近辺の航路は変わらず、長い間港町の枢要としての位置は揺るがなかった。
 上関、そして室津ともに古い町並が残っている。歯抜けとなり駐車場となったもの、新しい建物に更新されたものも多く、連続した町並景観としてはわずかであるが、廻船問屋の並んでいた時代を想起させるには充分である。上関ではバスの通る港沿いの通りの一本山側がかつての本通りで、その山手には港町らしい非常に狭い路地が迷路のように入組んでいる。商家の連なる海沿いの地域から、谷間に沿って山裾に家並が拡大していった様子が伺える。
一角には積荷の点検や海上警備を司った「御番所」も移築され保存されている。
 室津も上関同様、多くの商船が寄港した。町域の北部は西方寺の門前町的な色もあったようで、妻入り町家の連なる一角、出格子の連なる光景などが比較的密度濃く残っており、賑わいの中心だったのだろう。
 港に沿って一際眼につく擬洋風建築は明治十二年に汽船宿などとして建てられた四階楼である。敷地内には郷土史学習館があり、地元のボランティアグループが活動されている。地元は町並として認識されており、今後どのような姿で生かしていくか、注目していきたいところである。
 



訪問日:2002.04.14
(2003.05.25再取材)
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