四代の町並 | |
上関町の中心部は半島南端の上関地区と橋を挟んだ対岸の長島地区であるが、その長島をどんどん先に進むと、険しい海岸線の所々に集落が点在している。その中で島の最南端近くにある四代、南西岸にある白井田の2集落を紹介する。 |
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四代の町並 | |
江戸時代には萩藩領上関宰判に属しており、1632(寛永9)年には四代に番所が置かれた。また高札場や勘場も設けられ、現在の上関一帯の中心に位置づけられていた。瀬戸内海の中では比較的島の少ない周防灘の東端で、島の南端に位置していることで航路的に立ち寄り易く、地区の玄関口になり得たからだろうか。 現在の四代地区は上関大橋から20分ほど、陸路が尽きる位置にあり小さな漁港と集落があるばかりである。陸路の発達により次第に中心が上関地区に移り、今では小さな漁村集落といった趣だ。かつては木綿など商取引をする家もあり、商人も13人を数えていたという(江戸後期の記録「注進案」)。 |
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白井田地区 斜面部から低平部を見渡す | 白井田地区には祝島で見られる練石積を用いた家屋もあった |
白井田の町並 | |
白井田地区は四代地区より一回り大きく、狭い平地にびっしりと家屋が立ち並んでいるだけでなく周囲の斜面に駆け上がるようにして家々が立地している。平地の部分では商家的な構えの建物も見られ、一部には沖合いの祝島で見られるような練石積が外壁に用いられた家屋もあった。 なお両集落とも斜面克服のため石垣が多用され、象徴的な風景となっている。また意外にも農業も盛んだったようで、「注進案」によると両集落とも100軒を超える農家があり、米・麦・甘藷などが生産されていたという。 四代・白井田両集落とも、集落内部には乗用車の入れる幅の道はなく、無秩序な路地、斜面部の一部では階段によって家々が結ばれていた。 |
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訪問日:2016.09.19 | TOP | 町並INDEX |
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