上山の郷愁風景

山形県上山市<城下町・温泉町> 地図(武家屋敷通付近を示す)
 
町並度 5 非俗化度 4 −城下町・温泉地・宿駅と様々な顔を併せ持つ町−





湯町の町並。歴史を感じされる旅館建築が残り、近代的なビル旅館が多く見られる地区とは一線を画す界隈だ。



 温泉場として全国に知られる上山市。近年山形新幹線により交通の便も向上し、首都圏からも気軽な温泉の旅が楽しめる。蔵王の玄関口としても位置づけられ観光の拠点として多くの客を受け入れている。しかしこの町は温泉地としてだけではない。城下町、そして宿場町としての顔も持つ複合的な姿が町並を通しても強く感じられた。
 上山の町は復元された天守閣のある丘を中心として広がっている。主な温泉場は城を要に3箇所、そして東側には南北に旧羽州街道が貫いている。
 上山藩は江戸初期には領主が転変していたが、元禄期の松平氏の入部後は固定され幕末を迎える。城下町は御城廻り六町と呼ばれ、領内の周辺諸村から木炭、漆、紅花などの産物が集結し商人が生まれた。
 温泉場としての歴史も古く15世紀にさかのぼるといわれ、松平氏は入城初期に共同浴場の開設などに取組み、中心地である「湯町」が家中地となり、他の温泉場も「湯持宿屋」が多数誕生した。今で言う温泉旅館である。宿場町であったことも遠方の客をも引寄せる効果があり、温泉地としての発展は早かった。江戸も後期になると飯盛女なども登場し、温泉を持つ遊興の宿駅として広く知れ渡った。
 城下町、温泉町、宿場町として機能していたいずれの姿も、現在に至っても濃厚に感じられる。温泉地としての姿は言うまでもないが、ホテル形式のビル建築がはびこる中で、かつての湯町付近には木造建築の格式ある建物が残り、湯治場的な雰囲気を残していた。
 城下町としての顔は湯町に近い筋に残る。かつての武家屋敷が連続して残り、全国的に見ても貴重な姿といえる。いずれも茅葺屋根を維持していて、中でも藩主の側用人役であった三輪家は、中庭に池と躑躅などの植込みが配され、格式と威厳を今に伝えていた。空家になり公開されているようなものはなく、いずれも現役の住居であるところにも価値がある。
 湯町からこの武家屋敷の残る通りを経て反時計回りに歩くと、道は城の北側の台地からやや下りとなりやがて羽州街道沿いに出る。商家の建物が土蔵建築として所々に残っていた。現在の町の中心であり、商店街化されて現代風の店舗に改装されている例も多いが、古い町をベースにしているような色が濃厚に感じられる。
 多面的な町の歴史は、そのまま町並として現在に伝わっている。多層建ての町並とでも言えようか。歩いていても何が現れてくるかわからないような楽しさがああった。




旧羽州街道沿いには土蔵建築も散見される。




武家屋敷だった建物も残り、城下町としての姿も濃く残っている。


訪問日:2005.05.22 TOP 町並INDEX