上怒和の郷愁風景

愛媛県中島町【農村集落】 地図 <松山市>
町並度 6 非俗化度 10 −連続性の高い家並の残る島の農村−
 

 怒和島は松山市の沖にある忽那諸島のうち中島と津和地島に挟まれた西部に位置し、島の東西にそれぞれ港を持ち松山の高浜・三津浜の各港及び周辺の島々と結ばれている。それぞれまとまった集落を持つが、ここでは東側の上怒和集落を紹介する。











 西岸の元怒和地区とならんで江戸時代は大洲藩領で、古くは桑名村とも呼ばれた。元怒和村とは別村の扱いではあったが、村高などの集計は一村として記載されることも多かったという。
元々は漁業など海を産業の場とし、水主43軒などの記録もあるが、明治以降は次第に柑橘栽培を中心とした農業に重きが置かれるようになる。
明治期前半の記録では、戸数104・人口512に対し、牛が54頭、船が46艘とあるが、内訳は耕作用船20、漁船10などとある。近くの島や島内の離れたところにある蜜柑畑などに通うため船を用いていたのだろう。このような農船は、現在でも瀬戸内の島嶼部の一部で見ることが出来る。
 元怒和地区よりもさらに農村集落的要素が高いところだが、町並の外観はある意味こちらの方がやや漁村集落らしい。高浜港などからの旅客船が発着する港より南側に集落が開けているが、細い一本道に沿い密度濃く連なるもので、松山沖の島の中では津和地島の町並の雰囲気にやや近い。元怒和地区で見られる長屋門風の構えは、ここでは見られなかった。
 港の北側一帯を中心として、集落の背面に石垣を積上げた見事な段々畑が見られる。この集落が農業主体で成立っていることを照明しているようだった。

訪問日:2016.08.12 TOP 町並INDEX