上滝野の郷愁風景

兵庫県滝野町【商業町・川港町地図 <加東市>
町並度 4 非俗化度 8 −名勝・闘竜灘の恩恵を受け発達した−





上滝野の町並 




 加古川の中流域に闘竜灘という名所がある。この付近だけ河床に露岩がひしめき、流れは激しく景勝地として知られる。
 この右岸付近の上滝野地区は、江戸期には加古川の水運拠点として賑わいを示したところだ。それもこの闘竜灘の存在により荷を一度陸揚げする必要があったからで、当時の加古川はここを境に北側を田高川、南側は滝野川と呼ばれており、それだけこの闘竜灘が物資の流れを分断していた。
闘竜灘の風景  
 
 姫路藩はここに北播磨支配の代官所を置き、往来する高瀬舟や筏から5分1銀を徴収する滝野船座が設けられていた。延宝3(1676)年の記録では荷宿7,船持ち34名を数えている。
 景勝地としても知られ、古くから文人墨客の訪れが多くその面からも賑わいを見せた。旅館や料亭が川岸に建ち並んだという。この闘竜灘という名称も、幕末の詩人が詠んだ詩により名づけられたものといわれる。
 加古川を渡る闘竜橋の西のたもと、すぐに南に入る細道に入ると徐々に古い町並が現れてくる。現在でも料亭の姿が見られ、また商家の外観の町家建築も散見される。迷い込むかしない限り決して通過点にもならない街路で、周囲の町の風景からも古い町並が残されているとは思えない中、意外な町並風景が現存しているといった印象である。街路沿いの母屋の裏側に、同じくらいの規模の別棟を持つ奥行きの深い御宅も見られた。
 この道筋は播磨と丹波を結ぶ街道でもあったらしい。一角には古い道標も保存されており、説明板が添えられていた。






 
訪問日:2021.06.27 TOP 町並INDEX