関内の郷愁風景

横浜市中区【港町】 地図
 
町並度 5 非俗化度 2 −国際港湾都市の黎明期を洋風建築群に見る−




神奈川県立歴史博物館 市街地でも抜群の迫力を感じさせる洋風建築だ


 横浜は大都市でありながら市街中心部でもどことなく建物の敷地の取合いに余裕が感じられ、近代都市の観がある。江戸時代までは寒漁村で、明治に入って国際港として整備され、洋館が続々と建てられた。戦時に空襲も受けているが、頑丈なそれらの建築は燃え残り、一部は現在でもその姿を残していて、横浜を象徴する風景として市街地に溶け込んでいる。
 それらは全て港と結びついたものであり、現在でも我国を代表する港町として位置づけられる。近年では北部地区はみなとみらい21として再開発され、高層階から横浜の夜景を一望できるランドマークタワーや、港にあわせて帆のような外観をしたインターコンチネンタルホテルなど、その姿も変化しつつある。ここではそれより南側の、開港以来の洋館が多く見られる関内地区を紹介する。
 JR根岸線・横浜市営地下鉄関内駅を出て東に向うと、まず眼に入るのが旧横浜正金銀行、現在神奈川県立歴史博物館として使用されている洋風建築で、交差点を利用した絶妙の外観は横浜を代表する歴史的建造物の一つである。この建物の南に面する通りは開港後、居留地に住む外国人の要望によって建設され、初めて馬車が導入された街路であったことから通称馬車道と呼ばれる。馬車はその後新橋と桜木町を結んだ日本最初の鉄道開通によって第一線を退いたが、ガス灯が全国で初めて灯るなど、文明開化の最先端を行く通りであった。
 東側の海岸近く、国道沿いの本町付近にも数々の洋風建築が散在している。この付近が最も近代洋風建築の密度濃い地区で、横浜税関(昭和6年竣工)、見事な煉瓦建築の横浜市開港記念会館(大正6年竣工)などが代表的で、いずれも高い塔を従えている。当時、高い建築物を構築することは現在とは比較にならないほど名誉なことであったようで、関東大震災後に平屋の仮庁舎で執務していた税関の建物を、当時の横浜の高層建築(神奈川県庁49m、開港記念会館36m)を意識し、51mの塔を併設した構造とした。クイーンの塔と呼ばれ、国際港を象徴する建物ならそれらより高くすべきということで、当時は入港する船からも最も目立つ存在であったに違いない。
 横浜スタジアムから東に海岸に向って伸びる広い街路は日本大通りという。我国で初めての西洋式街路とされ、明治時代の都市計画により官庁街として整備された。この通りに沿った県庁本庁舎も当時の建物そのままに現役で使用されている。先に書いたように、昭和初期の当時としては高層建築で、帝冠様式というらしい中央塔を立ち上げた造りで、俗にキングの塔と呼ばれている。
 関内地区の町並を歩いていると、現代都市になりながらも開港時代の余燼が至る所に感じられ、競うように洋風の建物を建築した当時の勢いを見るようであった。
 私が今回町歩きとして訪ねた時は日没が迫っていて早足での探訪となり、それも関内地区のごく一部に留めざるを得なかった。いつか周辺の地区を含め、訪ね直したいところである。



本町の町並


本町の町並(横浜市開港記念会館)



海岸通の町並(旧横浜税関)



日本大通に面して建つ県庁の建物(昭和3年竣工)



開港記念会館を望む

訪問日:2006.11.05 TOP 町並INDEX