甲浦の郷愁風景

高知県東洋町【漁村・港町地図
 町並度 5 非俗化度 8 −天然の深い入江を抱く阿土国境の町−

             




甲浦漁港の風景



入江に沿って水切瓦のある旧家も残る
 

 
甲浦へは徳島からの牟岐線の末端が民鉄に受継がれてここまで達している。南側は室戸岬まで目立った町は無く、北はすぐに徳島県に接していることから、ここは古くから阿波とのつながりの深い町であった。言い換えれば土佐の東の入口として重要な役割を果たしていた港であった。土佐藩士の参勤交代にも利用され、藩主の宿泊施設としての御殿、船を格納する御座船家などが存在し、また国境警備の上でも重要な津であったため、湾口に浮ぶ島に灯明台なども設置され警備にあたっていた。
 国道55号線はこの港を短絡し、トンネルと橋梁であっという間に通過してしまう。しかし橋の上から短い間だが天然の良港の典型のような入江に、漁船が多数舫われている風景が展開する。甲浦の町である。名の由来は複数の説があるが、太平洋から大きく入組んで、その入江の形が甲(兜)に似ていたこともその一つとされている。江戸も後期になると参勤交代など重要な海上通行からは外れ、以後は漁村集落としての歩みを進めてきた町である。
 入江沿いに辿ると、海岸に沿い彎曲しながら漁村の佇まいが連なる。眼前には漁船が密集した、雰囲気のある町並の風景だ。家屋自体はそれほど古いものが連続しているわけではないが、一部に土佐らしい水切り瓦を壁にはめ込まれた旧家があったり、また洋風の建物があったりと、繁栄の証を感じられた。東端付近には二階に木製の手摺が設けられた独特の家々も見られた。
 甲浦より西側に入江を離れ、平坦地にある白浜という地区にも市街地が開けている。ここは打って変わって直線的な街道集落的に展開する家並で、趣が異なる。ここの町並の特徴は徳島県南部の漁村集落と共通する床几(ブッチョウ)が備えられた家屋が多く見られることで、少し古いと思われる家には例外なく見られた。街路は比較的広く、しかも伝統的な家屋の割合はそれほど高くなく、古い町並とまでは言い難い風景なのに、この伝統の意匠の氾濫は何なのか。建物本体の持ち味は近代化されても、物置にも雨戸にも、そして社交場にもなる床几は守ろうと白浜の人は考えたのかもしれない。そうした意味で特徴的な家並であった。
 甲浦の漁港沿いには、南海地震の際の津波の高さが表示され、避難所を指示する標識もあった。外海に面したこの港は津波の被害を受け易い。普段から地震発生の際の対応に態勢を整えているように感じる。
 しかし早足で廻る探訪者の眼から見ると、穏やかな入江と港の佇まいは平和そのものの雰囲気であった。
 

 




漁港の周囲に見られる伝統的な家並




入江より西の白浜地区の町並 古い家屋は少ないが独特の床几を備えた家屋が多い 右の写真の軽自動車の停まっている付近に折畳んであるのがそれだ

 

訪問日:2007.08.14 TOP 町並INDEX