小幡の郷愁風景

群馬県甘楽町【陣屋町】 地図 
 
町並度 6 非俗化度 5 −石垣や水の風景が町並の魅力を導く−
 




小幡の旧雄川堰沿いの町並 旧町人町の地区で町家建築が残っていた
 

 甘楽町小幡は南に山地を控え、穏やかな斜面に町が開けるところだ。幹線国道や鉄道の沿線からもはずれ、静かな集落が展開している。
 町の中心を南北に貫通するやや広い道には中央に水の流れがあり、反対側は歩道となっている。付近には商家を思わせる町家建築そして土蔵などが随所に残り、古い町並を残していて、水路沿いは桜並木ともなっており散策にも格好の環境である。
 小幡は古くから城下町(陣屋町)として発達し、廃藩置県後も小幡県が成立するなど政治の中心地であった。天正18(1590)年に徳川家康の武蔵入国以後、それまで後進地域だった関東地方全体が大きく発展することとなるのだが、この小幡においても北に接する福島にあった宮崎城に奥平信昌が3万石を与えられて入城、その後美濃国加納へ移封されると織田信雄の所領となり、その三代目が寛永19(1642)年に小幡に陣屋を造って移転したのだという。それは大土木工事を伴うもので、特に水路工においてその真骨頂が見られる。先に書いた中央の通りを貫く流れは雄川堰と呼ばれ、集落の西を流れる雄川の水を引き入れたものである。また周辺の土地にも網の目のように用水路を建設しており、今でも多くが現役で残っている。素朴な石積の中を豊かな用水が流れる風景も小幡の歴史を象徴するものの一つである。
 
 




雄川堰沿いの町並 中小路 右は高橋家の土蔵と長屋門





 陣屋町としての最も盛大な遺構は中心街からやや南西寄りに残る中小路界隈だ。幅は14mもあり小路とは名ばかりの立派な街路に沿い、数少ない貴重な武家の面影が残されている。長屋門と土蔵が印象的な高橋家は庭園が有名で、雄川堰より引いた池を配した見事なものだ。
 このように町家と武家の二つの顔が見られるのだが、一貫しているのはやはり雄川堰の流れである。建物からは勿論、随所に遺構を残す石垣・石積に歴史の重みを見出すことができる。
 西隣の富岡市に有名な製糸工場が立地したように、付近は近代に入って製糸業が大きく勃興した。付近の民家にも屋根に気抜きの小屋根が設けられた姿が多く眼につく。そこには養蚕室があり換気のために設置されているのだという。
 純粋な古い町並・家並の景観というより、水の風景を中心とした陣屋町の遺構が総合的に町並に奥行感を与えている。私はここでも例により駆足の探訪に終始してしまったが、小幡の魅力は家並の風景だけではない。歩度を緩めてじっくりと噛み締めることにより味わうことの出来るものであろう。
 
  
この石垣は往時からのものであろう


中小路

訪問日:2008.10.12 TOP 町並INDEX