神埼の郷愁風景

佐賀県神埼町【宿場町・商業町】 地図 <神埼市>
 
町並度 5 非俗化度 7 −長崎街道の宿駅 屈曲の多い町並−
 



旧神埼宿東端付近の町並


 佐賀県の東部、平野部の低湿地帯に神崎町はある。古くは条里制の名残をとどめる地名も多く、近くには吉野ヶ里遺跡もあるなど大変深い歴史の蓄積があることは間違いない。
 この神埼に残る町並は旧長崎街道の宿場町としての遺構と、それに伴う商業町の姿である。宿駅神埼宿は、それより歴史の古い櫛田宮の門前町を利用して、街村を整備し旅籠など泊地としての構えを整えたもので、各藩主の長崎奉行をはじめシーボルトも通った道という大変由緒ある宿場であり街道である。神埼には本陣や脇本陣、問屋場が置かれた。
 宿場町は東端西端に木戸が設けられて町外とは画然と隔てられ、街路が四ヶ所も折れ曲り、さらに宿駅の中心部では街路が二手に分かれていた。町内には二日町・四日町・五日町・七日町・八日町・九日町の地名が見え、それぞれの日に市場が開かれていた。過半数の日々において市が開かれていたことになる。取引される品物は穀物をはじめ魚介類(加工品)・油・塩・反物などで、それらはその日に取引される市以外で一切の商取引を禁ずる「神埼市場定」により厳しく統制されていたといわれる。
 当時の商業の発展は現在に至る町並にも受継がれているようだ。妻入りの迫力を感じる町家があちこちに残っており、商店街の一部となっているため連続性は高くないものの、東端・西端付近では比較的純度が濃い。所々に素麺の看板が見られる。神埼素麺は、江戸の初期にここで行き倒れた行脚中の者から小豆島の手延素麺の技を伝授されたのが始まりともされている。中期以降になると産業として発達し、最盛期には300軒以上もの手延素麺屋があったという。付近で良質な麦が豊富に収穫され、また川や運河の多い土地であるので水車による製粉も容易であり、神埼名物として普及し旅人の楽しみともなっていた。
 所々に寺院を挟み、また洋風建築も見られるなど屈曲の多い街道筋とともに町歩きに変化があって面白い。また裏手が水路となっている箇所では、一部で水面に向けて張り出した家屋を石柱により巧に支え受けている独特の構造を持つ旧家も見られた。いかにも水郷地帯の町場らしい光景である。
 旧長崎街道の宿場町の中では比較的町並が残っている方であろう。探訪客に対して地味な看板があり意識はされているようだったが、もう少し前面に出しても良い気がした。




神埼宿中部の南北の町並




神埼宿西部の町並 素麺の看板のある旧家 川に面してせり出す独特の外観を持つ家々

訪問日:2008.08.16 TOP 町並INDEX