烏山の郷愁風景

栃木県烏山町<城下町> 地図  <那須烏山市>
 町並度 4 非俗化度 8 −那珂川の段丘上に開ける城下町が基盤の町−


金井二丁目の町並




中央一丁目の町並 中央二丁目の町並


 那珂川右岸の段丘上に展開する烏山の町。応永25(1373)年に烏山城が築城され、以後近世は一貫して城下町として明治を迎えている。城は現在の市街の北西の小高い所に構えられ、別名臥牛城とも呼ばれた。
 城下町として町が整備されたのは江戸期に入ってからで、まず17世紀前半の寛文年間に堀氏により城郭の大改造と町屋敷の検地が行われ、同後半の板倉氏の時代には塀を設置するなどして城郭と町人の居住地を明確にした上で、町割を行い町人・商人の居住を促した。城下は人口2000人余りを擁し、60種もの職業が見られるようになったという。
 産業の根幹は和紙と煙草で、和紙は越前より技術を導入、周辺の村々で楮が栽培され次第に生産量を増し生産される品も大方氏、奉書、檀紙など多種に及び、江戸市場で取引された。また17世紀前半の元和期に始まったとされる煙草栽培も換金作物として盛んとなり、大山田煙草と呼ばれやはり江戸に出回った。那珂川には河岸があり、船問屋もあり物資の輸送に貢献した。
 現在の中央交差点が城下町時代の仲町にあたり、町の中心にあたる。伝統的な建物は南北の街路を中心として残り、交差点より一本北の東西の通りにも見られる。多くは更新され連続した古い町並が見られないのが惜しまれるが、重厚な構えの店蔵や瓦を葺いた門を持つ旧家なども見られ、それらは商業が発達したゆえのものだろう。隣が空地になったことにより奥行の深い敷地の奥に土蔵を従えた姿がよくわかる物件もあった。
 また看板建築をもつ商店建築など、一度更新されたものも古い町並的景観に溶け込んでいる姿もあった。

 
中央二丁目の町並



旧烏山病院(烏山和紙会館)


訪問日:2019.04.28 TOP 町並INDEX