笠松の郷愁風景

岐阜県笠松町【商業町・陣屋町】 地図
 
町並度 6 非俗化度 10 −美濃南部の政治的中心 川港が栄えた−
 




下本町の町並
 

 
笠松町は木曽川を境に愛知県に接し、岐阜市郊外に位置する面積の小さな町である。名古屋鉄道により名古屋や岐阜に直結しており、ここに古い町並が残っていることは想像しがたいものがある。しかし、線路より東、木曽川に近い付近は街路が錯綜した昔ながらの佇まいが残っており、知らない者が車で入り込むと少々要領を得ない。
 そして、平入り・袖壁付の切妻で中二階の、この地域の標準的な伝統的家屋が方々に残り、古い町並を形作っている。付近の町名からも歴史性が感じられる。特に南部の下本町付近と、北部の八幡町界隈は町家が連続した風景が残され、この二箇所は一本の通りに沿い展開することから、この筋は何らかの街道であったのだろう。派生する小路にも随所に伝統的な家並があった。
 我国有数の低湿地帯である濃尾平野は洪水により造成されたといってよく、実際この町が本格的に人の住まう土地となったのは天正年間(16世紀後半)以降とされる。江戸時代は木曽川水運の中継地として重要な位置を占めていて、桑名や四日市から海産物や塩などが東濃地区へ運ばれ、また逆に内陸部からは薪炭、年貢米などが陸揚げされていた。街道からの枝道は木曽川の船着場に達していたとされ、現在は頑丈な堤防が築かれているが、街路の様子からその名残が感じられる。 
 小さな町ながら重要な拠点だったこの笠松。政治的にも寛文2(1662)年に陣屋が置かれると、その後郡代・代官が28代にわたり笠松陣屋で幕府直轄領の支配に当った。主に治水対策を管轄しており、低湿地帯の多い美濃においては非常に重要な任務のひとつであった。
 現在見られる町並は明治時代の震災被害以後のものが大半を占めていると思われるが、その基盤となったのは木曽川水運の拠点であると同時に江戸後期以降勃興した繊維産業であったろう。付近では水害が多発する低地のため稲作から木綿栽培に切り替えられ、江戸期後半には縮緬織物等が盛んになっていた。
以後綿織物に転換し、第二次大戦後までその繁栄は続いた。
 




八幡町の町並




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訪問日:2007.10.14 TOP 町並INDEX