浜町の郷愁風景

佐賀県鹿島市<漁村・街道集落> 地図
 
町並度 7 非俗化度 5 −様々な町の顔が伺える貴重な町−






浜宿(酒造通り)の町並
 佐賀県の南部の小都市、鹿島市は有明海に面する町で、日本一の干満の差の見られる干潟はムツゴローなど独自の生物が生息し、1つの風物詩を形作る。豊かな漁場の基地として古くは室町時代からここには町が形成された。
 鹿島市はこの漁師町としての発展のほかに、江戸初期には鹿島鍋島小藩の2万石ばかりの城下町となり、さらには浜町には長崎街道の脇街道が通ることとなり、宿場ともなった。江戸期は港町漁業町としての古くからの地区を船津または浜津、街道沿いを浜宿と呼んだ。ここではこの浜町を紹介する。
       




 
浜宿の酒蔵通りは漆喰に塗られた妻入り町家が、訪問客の眼を意識しないそのままの姿で残されている。




浜宿の町並

 浜町は鹿島藩内でも最も経済活動が盛んで、漁業のほかに酒造業が江戸期には基幹産業となっていた。17世紀頃には酒造業が盛んになっていたといわれ、鹿島藩内で栽培される良質な多良米に恵まれ、最盛期には十軒を超える酒造業者があり、その大半が浜宿の街道沿いにあった。「浜千軒」と呼ばれ近隣の中心都市であった。中心は肥前鹿島駅周辺に移行したため、この地区には当時のままの町並が残っている。白壁土蔵の並ぶ通りは古い浜町の面影を存分に残している。但し今も営業している業者は少なく、漆喰が剥げたりして痛んでいる姿が目立つ。妻入りの姿は典型的な九州北部の町家を示し、2階部に小さな軒を張り出させ、入母屋風となっている。この付近は街路が狭いこともあって、連なる旧家群は迫力を感じる。
 それでも修復され、数年前から一般に公開されている民家もあった。人馬の継立てなどを行っていた「継場」だった旧家で、玄関から裏庭まで一直線の土間が印象的であった。ここを物資が行き来していたのだろう。裏側には荷物蔵が数棟あったそうだが現在は撤去されている。
 案内の方に尋ねるとこの町並を訪ねる客はここ数年急増しているとのことで、昨年は年間約6,000人、スケッチ大会等の催物も定期的に開かれているという。訪ねられる方はやはりこの旧街道の自然体の町並に感心されるとのことだが、自治体からの補助もなく、台風などで痛みが徐々に増していくことに危惧感を抱かれているようだった。
 重伝建や補助制度などへの動きもあるようで、何とか保存していただきたいと思う一方、綺麗に改修されてその魅力が失われてしまわないかという別の心配もある。
 浜宿から国道を挟んで反対側の船津集落は干拓等によりかなり内陸に追いやられている。浜川の両岸にあるこの地区には今でも、漁網を繕う漁師の姿が散見され、茅葺屋根を構えた民家があちこちに残っている。残念ながらこの地区は河川改修が近年大掛かりに行われ、昔ながらの家並はかなり失われたという。それでもある程度まとまって草葺屋根が見られる地区はそれほど多くあるまい。
 




船津(浜津)の町並 船津地区には茅葺民家がまだ多く残る。

※画像は全て2005年7月再訪問時撮影のものです。


訪問日:2002.07.21
(2005.07.17再取材)
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