竹谷の郷愁風景

宮城県鹿島台町<武家町> 地図  <大崎市>
 
町並度 3 非俗化度 8  −鳴瀬川右岸の氾濫原に築かれた武家町−


 



 奥羽山脈に源を発し松島湾の外れに注ぐ鳴瀬川は、中下流部で低平な平野部となり穀倉地帯を形成している。
 東北本線の鹿島台駅より東に1kmほど、鳴瀬川の右岸に近い辺りにある竹谷地区。地図を見ると一面の水田地帯の中この地区だけ街村的な集落の連なりがあり、特異な印象を抱かせる。訪れて見ると、水路を挟んで両側に家々が建ち並び、特徴のある町並風景が展開していた。
 かつてこの付近は木間塚村と呼ばれ、竹谷地区のこの町並は武家町の名残という。慶長5(1600)年、伊達氏の一族であった茂庭氏はこの地から5kmほど北西の松山に入り、木間塚村は同氏の領地となった。鳴瀬川沿いの氾濫原など荒地を開墾し、侍屋敷や足軽屋敷を建設した。その中でこの竹谷には足軽屋敷70軒を構えたという。中心に水路を構え、それに沿い屋敷街を整えたもので、その姿が現在に至るまで残されているのは貴重なものと言えよう。
 現在も1kmにわたり大江堀と呼ばれる水路と家並が連なっている。周囲は低湿地帯であり、もともとこの水路が造成されたのは水利というより治水のためと思われる。家々は古いものは少なく、建物から直接歴史を感じることはできないが一部には厳かな門を残す旧家もあった。水路は改修されているものの家並の中央を縦貫し、所々に橋が架かるのみで車社会においては不便な面もある。しかし潰されたり暗渠に改修されず残っているのは、住民の誇りあってのことだろう。水際にあった立看板には、魚巣や深みを設置し魚の生息を考慮し改修を行ったことや、緊急時には防火用水として使用すると書かれていた。


集落中央の水路が特徴の竹谷地区  









 
訪問日:2022.07.16 TOP 町並INDEX