柏原宿の街道風景

滋賀県山東町<宿場町> 地図 <米原市>
 
町並度 6 非俗化度 5 −中山道近江路では最も大規模だった宿駅−
 



 
柏原宿の町並 現在唯一残る艾(もぐさ)商の旧家・亀屋左京家




柏原宿の町並




柏原宿の町並
 

 


 柏原は中山道近江路(滋賀県)の最東端の宿駅であった。東の今須宿(岐阜県関ヶ原町)より一里、西の醒井宿より一里十八町、山間とはいいながら割合開けたところに展開している。
 町は東西に細長く東町・宿村町・市場町・今川町・西町と連なり歩き通すと結構長い。東西十三町(1400m余り)あり近江路では最も長く、中山道全体でも十番目となっている。
 家並としては古い伝統的な往時の建物が連続する箇所はそれほど多くないが、宿駅区間の中央やや西寄り、やや下り坂になった先にある「伊吹堂亀屋左京家」は貫禄充分である。間口が広く、黒漆喰塗りの二階部と一階の出格子が威容を誇っている。この旧家は「艾
(もぐさ・灸を据える火種の薬草)」の販売を中心に富を築いている。 
 『木曾路名所』の中では「駅は伊吹山の麓にして名産には伊吹艾の店多し」と記され、伊吹艾の名は高かった。最盛期には20軒もの艾を扱う店があった。
 宿駅としても先に書いたように規模が大きく、本陣・脇本陣はそれぞれ1軒ずつであったが、問屋が5軒もあり、東町から西町までの各町で独自の自治が行われていたようだ。中世の東山道時代、不破の関を抜けて東国への入口に当たる宿駅であったため、軍事上重要な町であったことからなのだろうか。商家は艾の他に油商、造り酒屋、紺屋、木挽などがあった。大型車すら悠々とすれ違えるほどの道幅があることからも、当時の町の大きさを推し量ることができる。
 町並は外来者に対応する施設も見られ、若干俗化しているが、土産物屋などは全くなく家並の外観上は全く自然体のままであるのは好感が持てる。
 亀屋左京家の店内には巨大な福助人形が鎮座しているのが通りからも見られる。福助とはこの店にいた番頭のことで、商売繁盛の守り神として全国に広まっているが、ここがその「元祖」ともいえる。柏原宿での一番の関心事はこの福助人形であったが、この人形の撮影は、店側で何故か異様に頑なに拒まれておいでのようで、撮影禁止の立て札が人形の前に立てられており、それ以前に店が開いていなかった。
 


訪問日:2005.04.16 TOP 町並INDEX