片上の郷愁風景

岡山県備前市<宿場町・港町> 地図 
町並度 4 非俗化度 10  −美作地方の海の玄関 港と接する山陽道の宿駅−






 
片上の旧街道には所々山陽道の面影が残る。


 片上町は昭和46年に隣の三石町と合併し、現在は備前市の中心として岡山県東南部の中心的な位置を占めている。
 古代から中世までは方上津と呼ばれ、山陽道の宿駅が置かれたことで知られているが、町の歴史は港町としてのものの方が長い。備前地方の東部沿岸に位置していることから、美作の物資、税物はほとんどここから積出された。美作の沃野を潤す吉井川を下り、和気からこの地に積み下ろされた物資は上方に送られ、備前における中央への海の玄関口となっていた。
 江戸時代となって山陽道が整備されるとここに宿駅が設置され、本陣・脇本陣を構え、備前藩主の指定宿も定められ、また年貢米の蔵座敷も作られた。港としての機能と重積して、商業町としても大きな発展をみたことは容易に想像できる。
 山陽道は国道とJR赤穂線の間に東西に明確な道筋を残す。一部はアーケードに被われ、また他では近代的な商業地となっていて家並から旧道の風情を感じさせてくれる箇所は今や少なくなっている。
 古い町並は東西約1.5kmにわたって続き長いが、町家の連続する風景はわずかで、商店街から外れた所々で平入り、中二階の旧家が残っていた。東部では焼板塀と白漆喰のコントラストの美しい造り酒屋、西端近くではかつての海岸線を思わせる緩やかにカーブした街道に沿って、虫籠窓の残る町家などが短く連なる町並風景も残っていた。また横路地には木造3階建の旅館建築もあった。これは山陽道が主な役割を終えてからのものと思われる。地域の中心としての機能は明治・大正期に至っても続いていたことが考えられる。実際近代に至ってもここは備前焼や三石の石筆を積出す港であった。
 近年になって廃止された片上鉄道は、柵原の鉱石を片上港から積出すにあたり、吉井川に代わる輸送手段として大正12年に開通したものである。津山街道(片上往来)の追分もはっきりと残るが、その両者とも役割を失った今となっては美作との直接的な繋がりを証明するものは少ない。




片上の町並




片上の町並
 
 
訪問日:2005.05.04 TOP 町並INDEX