勝間田の郷愁風景

岡山県勝央町<宿場町> 地図 
 
町並度 4 非俗化度 6  −出雲街道の重要な宿駅であった−
  




勝間田の町並


 勝央町勝間田は津山市の東約10km、出雲街道が通り旧美作国内では播磨方から見て二番目の宿場町であった。
 街道を通し畿内や大和との文化の交流もあり、近隣の商業の中心であるとともに文化の中枢でもあった。杉田玄白などに師事した蘭方医もこの町から生まれている。勝間田宿は主に津山・勝山藩、山陰の松江・広瀬藩の参勤交代時に使われた。常駐する人夫数は少なかったが、大名通行時は近隣の50余村が助郷にさだめられ、数百人に及ぶ人夫が徴された。本陣も二軒あり、当時は大変な賑わいを見せた宿場であったようである。
 町並は最近になって行政により整備が行われ、宿の中心であった街路筋は石畳が敷かれ、通りの端を流れる水路を整え数ヶ所に小公園を設置、池に鯉を泳がせたりしている。この水路は戦後しばらくまでは生活用水として炊事洗濯の場であったと言われるが、今はその面影はない。
 往時の姿を残す伝統的な町家はそれほど多くは残っていない。1km弱の街道の所々になまこ壁に彩られた旧家が散在している。ほとんどが桟瓦葺きで、中二階建もあるが今に残る建築物は明治期に入ってからの物がほとんどのように思われる。しかし母屋、離れ、土蔵に中庭をこしらえた屋敷も数軒残っており、繁栄を語り継いでいる。
 また町並の中心には古い洋風建築がある。現在町立郷土美術館となっている旧町役場と旧中国銀行の建物である。かつて美作東部の中心的な町であったことを示しているようだ。
 中国自動車道の開通などもあり工業誘致などもあり活気のある町であるが、この通りを歩くと建物が取壊され更地となっている姿も見かけ、空洞が生じているようである。こざっぱりとした雰囲気に修景され情緒も感じられるが、古い時代の交通の中心が風化してしまわないよう、住民と行政が協力して守っていってほしいものである。
 








旧勝央町役場

訪問日:2002.11.03
2014.08.13再取材
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