勝本の郷愁風景

長崎県勝本町<港町・漁村> 地図  <壱岐市>
 町並度 6 非俗化度 6 
−朝鮮通信使も迎え入れた壱岐島北部の歴史深い港 捕鯨の基地でもあった−


    
勝本の町並 港の地形に沿い半円状に長々と連なる
 壱岐島の北部、勝本は半円状の湾を持ち、沖には島がある地形のため冬場の季節風による荒波も緩和されることから古くから海運が大きく発達した。特に勝本は大陸と対峙する位置にあることから防衛基地としても重要なところで、古くは防人が配備され唐や新羅の侵攻に構えていたという。

旧海産物問屋・大久保本店の建物










 中世末期の天正19(1591)年、平戸の松浦氏が勝本に城を建設し、朝鮮方面への玄関口としても位置づけた。壱岐は全国最小ながら幕末まで独立した一国ではあったが、江戸期は一貫して平戸藩領として経過している。
 島内に8箇所の浦方と呼ばれる港町・漁村が指定され、勝本浦もそのひとつであった。朝鮮通信使が壱岐に寄る際にはここに寄港し、藩は役人を派遣して接待をおこなったという。また幕府の巡検使も度々来島し、郷ノ浦から島を北上し勝本から対馬に渡るのが通例であったという。
 漁業も栄え、特筆されるのが捕鯨であった。鯨組と呼ばれる捕鯨組織があり、江戸や紀伊の漁師も捕鯨の為に移り住んだりする者があるほど鯨が多かったという。現在でも鯨組の頭取宅が残存しているという。
 町は現在の漁港付近から半円状に連なり、海岸線から一本山手のかつてのメイン道路に沿い家並が密集する。延長的には1km余りにもわたりなかなか訪ね応えのある町並だ。東部で一部商店街的な様相となっている他は、漁家を中心とした素朴な町並の風景が連なる。その中にひときわ眼につく商家の建物は、海産物問屋「大久保本店」として約150年前に建築された。1階部分には床几が設えられ、軒下の持送りや2階正面の木製欄干など豊かな商家だったことが一目でわかる建物である。現在カフェとして新たな命が吹き込まれ、客を迎え入れている。そこから少し東側には、旅館の看板を掲げた木造三階の建物があり、坂道の路地を挟んで土蔵が残っている。これは焼酎製造工場の名残だという。壱岐は古くから焼酎が名産とされ、現在も多くの銘柄が製造されている。
 勝本は壱岐島の町や集落の中で、唯一古い町並として紹介されることのあるところだが、探訪するに十分値する質と量を誇っているといえよう。町並の風景や海産物をはじめとした食関係のほか、港祭やペーロン競艇などの祭も数多く、また町並一帯で朝市が開かれるなど、一つの完結した文化的魅力に満ちているといえる。

   

訪問日:2015.01.02 TOP 町並INDEX